洛中の「五色の辻」


三条通と室町通の交差点を五色の辻と呼びます。今は、歌碑が残るのみですが往時をしのぶことができます。
歌は吉井勇のもので「洛中の 五色の辻に 家居して み祖の業を いまにつたふる」と詠まれています。吉井勇と言えば「かにかくに 祇園は恋し 寝るときも 枕の下を 水の流るる」の歌が有名で、祇園白川には古希の記念に建てられた歌碑があります。
五色の辻は、江戸時代にこの交差点を囲んだ大商家「千切屋(ちきりや)」一門の壁が、東南は赤、南西は黄、東北は青、西北は黒と白であったため名付けられたものです。実際にそうだったかは分かりませんが、五色の色と方角は五行思想と一致しているので、そちらから来た呼び名のようにも感じます。また、先日の彩雲の記事でも「慶雲五彩を生ず」とあるように、五色とはめでたい色として認識されていたのでしょう。
この界隈は繊維業が盛んな場所で、衣棚通の名や京友禅の老舗「千総」など数多くの織物の会社に往時を見ることができます(なお、千総は千切屋の一門です)。また、祇園祭の山町も周辺にあります。この歌碑を見たとき、それらが今でも「み祖の業を」伝えてくれているのだと私は受け取りました。
私は、三条室町のこの場所を通る機会が多く、歌碑を目にするたびに「五色の辻」と呼ばれた往時のにぎわいに思いをはせます。室町通は、「室町幕府」の名でも知られ、応仁の乱以後に平安京が完全に廃れた後には上京と下京とを結ぶ唯一の通りとして残った道。そして三条通も、東海道の起点、さらに明治期には京都の中心街として栄えた道です。その交差点は、さしずめ今の「四条烏丸」「四条河原町」といったところだったのかもしれません。
現在は五色の景色も移り変わり、通りは京都医健専門学校の学生街ともなり、車や自転車が何をそんなに急いでいるのかと言うほど、我先にと渡ろうとするせわしなく狭い交差点。ほとんど見向きもされない歌碑ですが、一度は立ち止まって目を向けてみてほしい歌だと思います。
 

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として9年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。散策メニューはこちらから

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