【京都の戦争遺跡】京都にもあった空襲


京都は太平洋戦争で焼けなかった、とよく言われます。京都は文化財も多く、かつての首都。しかも原爆投下の候補地になっていたこともあり、原爆の能力を計るため市街地への大規模な空襲が無かったのは確かです。しかし空襲が全く無かったわけではなく、不幸にも爆弾が落ちた地域もありました。

京都にもあった空襲

爆弾が落ちたのは東山五条を下がったところにある馬町と、西陣の出水・正親地区。昭和20年1月の馬町付近の爆撃では死者41人・被害家屋は316戸に上ったそうです。これが京都空襲の最初で、その後も散発的に爆撃がありました。そして、6月には西陣に7発の爆弾が落とされ、死者50人・被害家屋は292戸(山中油店説明書きによる)もありました。当時を経験された方のお話を読んだことがありますが、かなり凄惨です。戦争とは本当に恐ろしい。
西陣の「智恵光院通下長者町上る」にある辰巳公園には、西陣空襲を忘れていかないようにと建てられた石碑もあります。

現在、西陣にある山中油店に、まさにその時に落ちてきたという爆弾の破片が展示されています。余談ですが、山中油店は200年近くも続く老舗で、雰囲気も良いお店です。界隈に残る「出水」の名のごとく、火事にならないようにとの願いも込めて水車も置かれています。また、禁門の変の際に長州藩士が付けた刀傷も残されています。
さて、戦時中の一条戻り橋では、その名にあやかり出征した人が無事に戻るよう願かけも行われました。涙ぐましい話です。西陣空襲については、下記の記事もご参照ください。よい記事だと思います。
知られざる西陣空襲

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として9年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。散策メニューはこちらから

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