秋分の日 秋あれこれ


23日は秋分の日。秋分も二十四節気の一つです。
今回も嵐電の京都二十四節気の動画をご覧ください。毎回素晴らしい作品だと思います。

二十四節気と秋分

二十四節気は中国伝来の暦で、気候的に中国奥地の西安方面に適合したものが多いと言われています。ただ、私は日本でこれだけ長く伝えられていたからには「だから日本の気候に合わない」とは断じるべきではないと考えています。「役に立つ」ものは長く残り、その反対は消えて行くのは世の宿命。日本でも役に立つものであったからこそ、そのまま受け入れられ、しかも長く続いたのでしょう。

24の節気の中でも最も基本となるのが「二至二分」。太陽の見掛け上の通り道を黄道(こうどう)と言い、春分を起点(0度)として360度に分割したものが黄経(こうけい)。二十四節気は黄経を15度ごとに分けた日付が基本となっていて、春分は0度、秋分はその反対の180度、そしてその間の夏至が90度、冬至が270度です。「二至二分」が基本たるゆえんが伝わったかと思います。1気15度は約15日間に相当し(時折、14や16日間になる)、二十四節気はその入りの日の起点に名前が付けられています。

秋分や春分は、太陽の高さと緯度がつり合う時期でもあります。先日のブログに書いたように、京都は北緯35度。今日の太陽の南中時の高さは、天頂までの90度から緯度35度を引いた55度となっています。緯度が0度の赤道付近では、太陽はちょうど90度で真上に輝いている。普段何気なく耳にしている数字が、実際の自然の中できちんと動いているのを感じると、実に不思議な気持ちになります。

秋のあれこれ

秋といえば、変わりやすいものの例えとして「女心と秋の空」が言われます。ただ、女心ではなく「男心」とする説もあり、秋の空は「飽きの空」に繋がるのだそう。「秋」に「心」を加えると「愁い」になり、秋は下り坂や斜陽にたとえられることもあります。英語でも「fall」と言いますね。確かに「秋の夜長」はもの思いをかりたてます。繋がるかはわかりませんが、「くれなさそうで くれる」のは「秋の日と娘さん」だそう。高嶺の花だと諦めることなかれ。

また、秋は「夕焼けの季節」でもあります。夕焼けには主に赤とオレンジがありますが、移動性高気圧に覆われるこの時期は、冬の西高東低期に比べると空気中の塵が多く、その分赤が強く出ます。夕焼けが最も美しいのは日没から15分~20分後。驚くほど美しい夕焼けは、時に人の心を動かすような力さえありそうです。ビルの多い都会では難しいかもしれませんが、この時期ならではの赤い夕焼けを探してみて下さい。

夕暮れの薄暗さを表現している「たそがれ」は「誰ぞ、彼」。同じように夜明けは「かわたれ」といい「彼は、誰」となります。幕末の国学者・五十嵐篤好は、両者の違いについて、ますます暗くなっていく夕方は相手を早く見分けようとして「誰だ!彼は!」と語気が強くなり、反対に明け方は「彼は誰?」とゆっくり構えていられているからだと説明しているそうだ。

秋は読書の季節。実は以上の知識は倉島厚氏の著書から私が感銘を受けたものを、私なりの意見を加えて書いてみたものです。最近読んだ本で出会ったのが「竹の春」という言葉。秋は人生の斜陽に例えられるのかもしれませんが、実はそうとも限りません。「竹の春」は旧暦の8月を表す別名で、秋が深まりゆくこの時期に、竹は盛んに新葉を出すのだそうです。というわけで、早速私の好きな竹林へ行ってみたくなりました。ただ、場所は伏見稲荷の「竹乃下道」。今日はさすがに無理でした。また近いうちに行ってみようと思います。ちなみに「竹の秋」は旧暦の3月の別名。筍に栄養を取られる分、葉は落ちてしまう。春は大学進学の季節で、親にとって学費がかさむ季節と重なっているのは面白い。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として9年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。散策メニューはこちらから

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