ガーデンミュージアム比叡の将門岩


ガーデンミュージアム比叡の中に、忘れ去られたように将門岩(まさかどいわ)があります。

平安時代中ごろ、桓武天皇の子孫であった平将門(たいらのまさかど)は、関東で反乱をおこします。一時は関東一円の国府を支配下に置き、巫女の神託などもあって「親皇」と称するに至りました。しかし、同族の平貞盛と藤原秀郷の連合軍によって打たれ、わずか2カ月余りで鎮圧されました。将門は打ちとられた後、首が京の四条でさらされましたが胴体を求めて関東へと飛んで行き、その首が落ちた場所が東京・大手町に残る首塚として知られています。

一方同じころ、西国の四国近海では藤原純友(ふじわらのすみとも)が反乱をおこします。朝廷は西と東とでの反乱の知らせにさぞ狼狽したことでしょう。純友は元は朝廷の役人として地方に下りましたが、やがて伊予国(現在の愛媛県)を根拠地として海賊のトップとなったと言われています。そして摂津国(現在の大阪府)を襲い、今にも都に攻めのぼってくるのではないかと朝廷を震え上がらせました。しかし将門が先に打たれたことで、朝廷も純友追討に力を入れ、ついに純友も敗れ去ることとなります。

上記の反乱は、承平・天慶(じょうへい・てんぎょう)の乱として日本史の教科書にも出てきます。西と東の反乱の首謀者である平将門と藤原純友は、まだ京で朝廷に仕えていた若かりし頃に比叡山に登り、平安京の街を見下ろせる岩の上でお互いの野望を語りあったと言われています。将門は天皇の子孫であるから新しく天皇になり、純友は藤原氏であるから関白になろうと約束したとのこと。なかなか面白い話ですね。実際には二人の間には接点はなく、偶然に同時期に反乱という形になったのが本当のところでしょう。

さて、ガーデンミュージアム比叡は、長らく比叡山頂遊園地として親しまれていた場所と施設を引き継いだ、美術館と植物園を兼ねる施設です。琵琶湖と京都の眺望を両方見られ、天空に咲く花々の美しさは格別です。私はここがお気に入りで、1年間何度でも入園ができる「友の会」にも入っています。デートコースの穴場としても非常にお勧めですよ。

件の将門岩。ガーデンミュージアム比叡のちょうど中ほど、展望台へ向かう階段の手前にある岩がそれです。しかし、以前は案内板があったそうですが、現在は何もありません。一見するとただの岩。このままだと将門岩の伝説は忘れさられてしまうでしょう。洋風の雰囲気が漂って美しい花が咲く庭園内には、血なまぐさい反逆者の共謀の場所など必要ないのかもしれませんが、なんとも残念ではあります。

実は、私はこの将門岩の存在を小学生の時から知っていました。今でも時々読んでいる「少年少女 日本の歴史(漫画)」に出てくるのです。京都に来て、実際にこの岩を見て思ったのは、本当に京都の眺めが抜群で手にとるように見えるなということ。同時代に生きた二人が夢を語りあっても不思議ではない風景は、今も昔もそんなに変わらないのかもしれません。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。散策メニューはこちらから

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「ガーデンミュージアム比叡の将門岩」への2件のフィードバック

  1. ガーデンミュージアム比叡は空気も景色もみんな清々しくてすぐ時間がすぎてしまいそうな素晴らしい場所ですね。目立たないようにひっそりとある将門岩の伝説も話を知らないとわからなかったことなので歴史を知るのもいいのかなとおもいました。

    1. 抹茶さん
      コメントありがとうございます。
      ガーデンミュージアム比叡は癒しスポットですね~!
      右を見れば京都の街が、左を見れば琵琶湖の景色が雄大に広がって、
      さらに美しい花が咲いているとなれば、みんな笑顔になるでしょう。
      歴史はやはりガイドから聞かれるのが一番かなと思います。
      私もよく他のガイドさんの説明を聞いて話し方の参考にもしていますよ。

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