平野神社 満開の桜と桜花祭


京都の東の桜の名所が円山公園ならば、西の名所は平野神社。満開時の平野神社は、空を覆い尽くすほどソメイヨシノの花が広がり、歓声を上げたくなるほどの美しい光景です!まさに昨日(10日)はそんな最高の桜が見られました。そして、満開の桜の中で桜花祭(桜祭神幸祭)が行われました。

今日(11日)は朝から雨となりました。多くの桜が散ってしまうことが懸念されましたが、少なくとも夕方まで見てきた限りでは、京都ではまだ「満開」で楽しむことができそうです。ここ数日で一気に満開になった分、まだしっかりと付いている花弁が多かったのでしょう。次回の天気の崩れは明後日13日の夕方から14日の前半にかけて。15日の日曜日まで見頃が続いてほしいですね。一方で、遅咲きの八重紅枝垂れ桜は咲き進んできています。今週末から見ごろに入って来そうです。

さて、平野神社は、もとは平城京の皇后(高野新笠:たかののにいがさ)の御殿にあった神社で、長岡京を経て平安京への遷都時にこの地に移されたとされています。高野新笠の子が、平安遷都を行った桓武天皇。つまり平野神社は朝廷にとって大切な神社で、源氏や平氏など諸氏の氏神としても信仰されました。平安時代の平野神社は今よりもはるかに広く、2km四方もあり、金閣寺の辺りまでが境内地だったといわれています。

神社は江戸時代から桜の名所として知られるようになり、特に夜桜が有名で、現在も明るいライトアップではなく、昔ながらの優しい明かりで照らされた夜桜が見られます。毎年、近くの衣笠小学校の新四年生が描いた絵が灯籠にかぶせられて、桜に彩りを添えています。また、平野神社の桜は種類が多いことでも知られています。これは諸氏が自らの家に伝来の桜を奉納して家運隆盛を祈ったためといわれ、現在も境内には早咲きから遅咲きまで50種、400本の桜が植わっています。植物園も顔負けですね。

桜花祭は、平安時代の985年(寛和元年)4月10日、時の花山天皇の命で平野臨時祭として行われたことに由来しています。桜花祭の目玉は13時に神社を出発する、総勢200名の神幸列。露払いの鬼に始まり、織姫のいる染色列、平安風俗を伝える東遊(あずまあそび)や曲水列、さらには騎馬武者列など、雅な時代行列が氏子地域を練り歩きます。もちろん御祭神も鳳輦(ほうれん)と呼ばれるお神輿に載って巡行します。満開の桜に似合う、華やかな行列です。

平野神社では、お箏や尺八などの和楽器や、フルート・ハープなど洋楽器の奉納が四季の行事で行われることがあります。桜の下で聞く音色は、いっそうお花見の楽しい気持ちを盛り上げてくれます。桜花祭は終わりましたが、12日以降も15日まで、毎日午後2時からと午後7時からで演奏がありますので、その時間に行かれるのもお勧めです。

また、夜桜はやはり学生を中心に大いに賑わいます。近くには立命館大学があることも理由の一つでしょう。夜の賑わいは円山公園と双璧ですが、平野神社は桜をじっくり鑑賞できる区域と、大いに騒げる区域とがはっきりと分かれていることが特徴です。じっくり夜桜を見られる区域では、先ほども書いた小学生の絵が竹筒照明に照らされています。古くから知られる「平野の夜桜」も、是非一度お楽しみください。

個人的には、学生時代にこの近くにん住んでいて、夜も足を運んだことを思い出します。円山公園に並んで京都の桜では思い出深い場所。友人も何度か連れてきて喜んでもらいました。問答無用の桜の密度で圧倒するならば、ソメイヨシノでは平野神社は群を抜いているでしょう。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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