松尾大社 松尾祭 神幸祭の船渡御


22日は松尾大社松尾祭神幸祭が行われ、桂川をお神輿が渡る、船渡御(ふなとぎょ)も行われました。写真や動画でご紹介します。

この日は雨が降り、動きの遅い高気圧に後ろから低気圧が押してくる形で気圧の傾きが急となったため、各地で強い風が吹きました。京都も荒れ模様の天気を心配しましたが、比較的穏やかで船渡御も無事に行われました。ただ、川沿いや橋ではそれなりに風が強く、私は傘をやられてしまいました。肌寒い一日でしたが、神輿の担ぎ手はやはり威勢がよく、子どもたちも元気よく神輿を乗せた台車を引いていました。

松尾祭は、その名の通り松尾大社のお祭りで、千年以上の由緒を持ちます。松尾大社は、平安京ができる前からこのあたりに勢力を伸ばした、渡来人の秦氏(はたし)ゆかりの神社です。同じ秦氏ゆかりの神社が京都にはもう一つ。赤い千本鳥居で知られる伏見稲荷大社でも、実は同じ日に稲荷祭が行われています。

松尾大社へ参拝すると気がつくのが、葵(あおい)の葉のご神紋。京都で葵の神紋として知られるのは、葵祭で有名な上賀茂・下鴨の両神社です。賀茂社は日本土着の賀茂氏ゆかりの神社ですが、実は上賀茂神社のご祭神、賀茂別雷大神(かもわけいかずちのおおかみ)の父親は、松尾大社の神とする説があり、渡来系の松尾大社と土着系の賀茂社とは、氏族の長所短所を補い合うための交流を含めて、古来から密接な関係を持っていたともいわれます。

平安京ができて後は、それぞれ「賀茂の厳神(げんしん) 松尾の猛霊(もうりょう)」と称され、王城鎮護、すなわち国を守る神社として厚い信仰を集めてきました。深い歴史を象徴するかのように、今でも神輿の担ぎ手の皆様が着ておられる服には、葵の神紋が描かれているものがあります。そして5月の還幸祭は、松尾大社内の各所や神輿、神職などが葵と桂の葉で飾られるため、「松尾の葵祭」とも呼ばれています。

さて、神幸祭では、松尾大社の氏子地域名の7地区からお神輿や唐櫃(からびつ)が出て、松尾社の神霊を移し、松尾や桂の街を巡行します。まず拝殿の周りを三周し、そして楼門をうまく通り抜けて出発です。やがて桂離宮近くの桂川へと着くと、いよいよ船渡御。順番に船に乗せて行きますが、神輿を担いだままザブザブと川に入って神輿を差し上げ、真ん中に船を通します。足元がぬかるんでいる中での力技ですので、いつも以上に緊張する瞬間かもしれません。

無事に神輿が乗ると、担ぎ手たちも別の船に乗り込んで対岸へと向かいます。担ぎ手の乗る船はモーター付きで速いのですが、神輿が乗る船は昔ながらの手漕ぎ船。先ほどまでの威勢のよい神輿行列とはまた違って、ゆったりと桂川を進んでいきます。神輿を乗せた船は最短距離で対岸へと向かうのではなく、一旦川をさかのぼってから少しづつ向きを変えて下流へと渡っていきます。単純に直線で行こうとすると、下流へと流されてしまう危険があるために、このようにしているのでしょう。

船渡御を見る特等席は、桂大橋の歩道の上です。神輿はちょうど橋の東の岸に上陸するため、橋の上からゆっくりと川を下る船を、雄大な川や山並みと一緒に眺めることができます。神輿が再び担がれて上陸する場面も上から眺めることができます。再び陸に上がった神輿は、桂大橋の下を通過しますが、その際には橋の上を走る車も一時通行止めとなります。神輿の上を車が通るのは、やはり罰当たりということなのでしょう。

橋の下をくぐると、祭事が行われる河川敷です。先に着いた神輿は後続を待ち、担ぎ手たちもお酒を飲んだり食事をとったりと休憩をしています。やがて6基の神輿と唐櫃がそろうと、祭事が行われ、各々が御旅所(おたびしょ)へと再び出発してきます。松尾大社から御旅所へはかなりの距離がありますが、それだけ氏子の範囲が広いということの現れなのでしょう。各御旅所には3週間鎮座し、還幸祭で松尾大社へと戻りますが、その時には神輿は西寺跡に集合をします。同じ秦氏ゆかりの伏見稲荷大社は東寺の鎮守社で、稲荷祭では今でも神仏混交の行事が行われています。東寺・西寺はともに朝廷が設置した官営寺院。秦氏と国との強いつながりを今でも感じることができますね。さて、最後になりましたが船渡御などの様子は動画もありますので、是非ご覧ください。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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