父と京都旅屋


このブログでは基本的には私が見ている京都をご紹介することを旨としていますが、今回はこの場を借りて、父の吉村朝之(ともゆき)について書かせていただきたいと思います。

5月30日、父が亡くなりました。家族にとっては全く予期せぬ出来ごとでした。数日前に救急車で病院に運ばれるという出来事はあったものの、処置は上手く行って命に別条はなく、亡くなる前日までは「明日には水も飲める、おかゆも食べられる」といったことを話していたそうです。しかし、翌日の未明には容体が急変し、朝には危篤になりました。私にもすぐに連絡が来て急ぎ向かいましたが、駆け付けた時にはすでに息を引き取っていました。せっかちに去っていきました。

私の父・吉村朝之(ともゆき)は水中カメラマン・映像作家として、地元・東海地方で活動をしていた人物です。父は映像部門だけでなく、様々な分野で活躍をしてきました。営業マンとして成績を残し、山に登り、ダイビングもし、スキーもし、本も書いています。ダイビングではトラック諸島で戦時中に沈んだ無数の船にもぐり、当時発見されていなかった船をも執念で見つけ、遺骨を引き上げて日本へ帰そうと呼びかけたそうです。スキーでは地元のスキー場のパトロール隊を務めて人を助け、本では自らが見てきた岐阜の河川や流域にまつわる話についての著書を持ち、「源流をたずねて」は、岐阜の河川流域の地誌を詳細に調べて書かれたものです。晩年は廃村についての原稿も執筆中でした。本業の水中カメラマンとしては魚の産卵シーンなど貴重な映像を、努力で撮ってきました。

父のすごいところはそうした各道々の中で、出会ってきた人々と強い信頼関係を築いてきたことだと感じます。通夜や葬儀には、私たち家族も思っていた以上に大勢の方々が駆け付けて下さり、東北や四国など大変な遠方からもお越し頂けたことには感謝の思いでいっぱいです。お忙しい中、本当にありがとうございました。皆様から頂いた言葉の多くは「お父さんには本当にお世話になった」という声でした。父が多くの方々と近しい関係を持っていたことを、強く実感させられました。

父は京都旅屋を始める私のことも常に気にかけてくれ、文章表現や映像・写真など、様々なアドバイスをくれました。もっともっと私が活躍をしている場面を見せてあげたかったのが本音ですが、私の力不足です。数少ない恩返しは、京都の美しい場所や史跡に連れて行けたことかもしれません。昨年秋には紅葉の善峯寺、史跡では大黒寺の平田 靫負(ひらた ゆきえ)の墓、立本寺の島左近の墓、妙覚寺の斎藤道三の遺言状、洛北・大森にある惟喬親王(これたかしんのう)の足跡、先日は二条天皇陵にも行きました。父が興味を持っていた歴史深い場所にも一通りは連れて行くことができました。振りかえってみれば、最後に会ったのは桜の頃。原谷苑と平野神社、将軍塚大日堂など、京都でも屈指の桜の名所を案内することができたのは、最後の親孝行だったかもしれません。

天気予報も頻繁に聞いてきてくれました。私が予報士の資格を取ったばかりのころは半ば疑心暗鬼の様子でしたが、やがて信頼を寄せてくれるようになり、近年は山や海へと出かける際には電話をくれました。昨年の震災直後には東北へも二人で行きました。あの光景を今度は私が語らなければならない。振りかえり始めると、思い出はきりがありません。

「ぼつぼつ、急がず焦らず、長い京都の歴史のようにやってください。」 父が応援してくれた「京都旅屋」の仕事。起業をする際に父からもらったメールに書かれていた言葉です。今から思えば、なんとありがたい言葉だろうか。折にふれては電話をくれ、いつも背中を押してくれました。大きなの味方の一人が父であったと思います。無茶苦茶なところも色々とありましたが、親身になって話を聞いてくれる人柄だったからこそ、葬儀の際にもたくさんの方が涙してくれたのでしょう。後のことは、何も心配しなくていいから、今はただゆっくりと休んでほしい。そして心から「ありがとう」といいたい。まだまだ父の背中ははるかに遠くにありますが、私もこれから父のように日夜の努力を重ね、一歩ずつ活躍できる人物になっていきたいと思っています。今後とも京都旅屋をよろしくお願いいたします。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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