東大路の馬町の交差点から渋谷通(渋谷街道)を東へ入って少し行くと、三嶋神社への入り口があります。子授けのご利益で秘かに信仰を集める三嶋神社は、平家ゆかりの神社でもあります。
神社の創建は平安時代の末期、平家の時代です。後白河天皇(松田翔太さん)と仲睦まじい夫婦であった平家の平滋子(しげこ:成海璃子さん)ですが、天皇との子どもをなかなか授かることができませんでした(大河ドラマではすぐに授かったことになっています)。ある時、人から摂津国(今の大阪府)の三嶋神社に祈願をするとよいと勧められ、二人は祈願を始めます。すると滋子の夢の中に白い衣を着た老人が現れ「そちに皇子を授けるから、自分を都の巽の方角に祀るように」と告げて行きます。程なく、二人は皇子を授かり無事に出産を果たすことが出来ました。たいそう喜んだ後白河天皇は、都の南東、巽の方角に邸宅を構えていた平重盛に命じて社殿を築かせ、摂津国から三嶋神社を勧請したのが、京都の三嶋神社の始まりです。
後白河天皇と滋子との間に生まれた皇子は、後に高倉天皇として即位し、平家と天皇家を繋いでいきます。さらには、高倉天皇の妻は清盛の娘・徳子(建礼門院)で、二人の子、すなわち清盛の孫は安徳天皇になります。実は徳子も、この三嶋神社に祈願をして安徳天皇を授かったとされ、まさに三嶋神社がなければ、平家の繁栄はなかったやもしれません。近年では、秋篠宮殿下が2回も祈願に訪れたことでも知られます。皇室では古から現代まで信仰を集めている神社です。
このように平家ゆかりの神社ではありますが、境内には源氏の牛若丸ゆかりの石もあるのが面白いところ。遥向石(ようこうせき)と呼ばれるその石は、かつて牛若丸の夢に出て奥州行きをさとした老人が立っていた場所にある石とされます。妊婦が三嶋神社に参拝して男の子を望み、この石に手を触れて念じると牛若丸のような立派な男子が授かると言い伝えられています。遥向石をなでてから、自分のお腹をなでるのが参拝方法とのことです。
三嶋神社の神様の使いである神使(しんし)は、ウナギ。三嶋神社の御祭神の一人は、大山祇(おおやまつみ)大神で、「山」の名が入るように山の神様として古くから信仰を集めました。山は川や湧き水など、生命の源・五穀豊穣の源となる水源をはぐくみます。そして水は海へと流れ、再び山に降る雨となって循環していきます。三嶋神社の神は、まさにこの水の循環をもつかさどる神と考えられていました。ウナギは、海にも川にも住むという神秘さを持ち、生命力もたいへんに強い生きもの。そんなところから三嶋神社の神の使いとされてきました。昔は、この神社に祈願した妊婦は無事に出産するまではウナギを断ち、祈願が成就したら生きたウナギを奉納したともいわれますが、現在は絵馬を奉納するのが習わしとなっています。お礼詣りが済めば滋養に優れたウナギを食べてもOKでしょう!
また、三嶋神社の祈願所が、滝尾神社の境内にもあります。滝尾神社は東福寺駅の近くにあって、見事な彫刻のある拝殿や、夜な夜な水を飲みに行ったと伝わる舞殿の龍の彫刻でも今年は注目されています。滝尾神社はかつては三嶋神社の近くにあり、その御縁から祈願所が設けられているそう。別な理由としては、水の生き物であるウナギを神の使いとしている三嶋神社では、本宮の近くにかつて流れた川(音羽川)が枯れてしまったため、水にかかわる滝尾神社に祈願所が設置されているとのことです。
ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)
気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。
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