保津川下り 亀岡と保津川


先日の晴れの日に、保津川下りを体験してきました。

保津川は桂川や大堰川とも呼ばれる川で、京都市の最北部、広河原や花背に源流域を持ち、亀岡を経て嵐山へと流れ下ります。亀岡の出口からは山々に囲まれた狭い渓谷を縫うように流れる急流に姿を変え、ゴールデンウィークや夏・秋を中心に保津川下りは盛況です。乗り場はJR亀岡駅から徒歩で10分ほどの場所。そこから嵐山まで90分前後の爽快な川下りです。

気象予報士としては、亀岡の洪水の原因である保津川の地勢が前々から気になっていたものの、実は今回保津川下りは初めての体験でした。亀岡は保津川が山間部に入る部分の水はけが非常に悪く、長く洪水に苦しめられてきた地域です。ようやく平成10年、上流部に日吉ダムが造られ、合わせて河川改修も進み、近年では洪水安全度は以前に比べると格段に高くなりました。京都から亀岡までJRの電車に乗ると、亀岡では進行方向右手側、すなわち保津川の方向は自然たっぷりの美しい景観を楽しむことができます。実はこれは建物がほとんどないためで、建物がない理由は、保津川の遊水地として広い土地が確保されているからなのです。まさに亀岡と保津川の洪水とは、長年の因縁の関係。ようやく近年になって克服されつつあるというものなのです。

保津川といえば、開削した人物として角倉了以(すみのくら りょうい)が知られます。かつて保津川の上流域である旧京北町一帯は禁裏御料地として管理され、都の建物の造営に使うための木材を供給していました。切り出された木材は筏に組まれ、保津川を下っていったのです。この筏もまさに職人技で、杉筏の場合は12連(長さ約55m)も繋げて流して行ったそう。しかし保津峡は急流かつ多くの岩がある難所続き。筏の操作を誤って岩にぶつかり、命を落とす人もいました。

それを見かねた角倉了以は、私財を投じて6カ月かけて保津川から危険な岩などを取り除く開削工事を行います。工事に当たっては、角倉了以も自ら石割斧を振るったといわれています。こうして筏だけでな船も通れるようになった保津川。了以はその船運の収益を独占して工事費用を回収しただけでなく、大きな利益を得たといわれます。保津川で利用された船は底が浅く平らな高瀬舟。高瀬川で使われていたことが知られる高瀬舟ですが、岡山県の和気川で使われていた舟にルーツを持ち、急流に強く、底の浅い川でも使うことが出来る舟なのです。

保津川では高瀬川より先に「高瀬舟」が導入され、実は今でも保津川下りで使われている船は、ほかならぬ高瀬舟そのものです。保津川下りでも、水のすぐ下に岩が見えているにも関わらず擦ることもなく、急流を下ってもほとんど揺れる感覚がありませんでした。舟には酔うという心配も付きまといますが、保津川下りに限ってはこの高瀬舟の素晴らしい安定感で、その心配はないようです。高瀬舟には本当に感服させられました。

この夏の京都では局地的な豪雨による災害が相次ぎました。先日の宇治、北区の紙屋川一帯の水没、そして嵐山や保津川一帯での土砂崩れです。これにより嵯峨野トロッコ列車も運休を余儀なくされ、保津川でも大きな岩の位置が変わって保津川下りも運休となりました。運行を再開させるために、人海戦術で岩を動かして行った様子は保津川下りの船頭さんのブログでレポートされていますので、是非ご覧になって下さい。保津川開削も本当に難工事だったに違いありません。さて、前置きの話がずいぶんと長くなってしまいました。肝心の保津川下りの様子は次回以降のブログでご紹介します。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です