「土下座」で知られる高山彦九郎の像


三条京阪の地上、三条大橋の東に高山彦九郎の像があります。通称「土下座」として知られるこの像には、意外な歴史が隠されています。

この像は、武士が土下座をしているような姿から、待ち合わせ場所としてもよく使われます。三条大橋を越えれば、そこは飲み屋街の木屋町。私も学生時代には「土下座前」で集合したことを思い出します。インパクトの強いこの像は、もちろん土下座をしているのではありません。

高山彦九郎は「寛政の三奇人」の一人にも数えられる群馬県太田市出身の武士で、13歳にして太平記を読み、南朝の悲話に心を動かされ、さらに自らの先祖が後醍醐天皇に仕えた新田氏であることを知ると、天皇を敬う勤皇の志に目覚めます。そして、明和元年(1764年)18歳の時、学者を志して遺書を残して家出をし、はるばる京都の地へとやってきました。当時はまだ幕末が100年も先の江戸時代の真っただ中。勤皇の志を抱くことは、時勢に逆らうことで、よほどの覚悟を持っていたことでしょう。こうして初めて京都にやってきた彦九郎。東海道の終点である三条大橋に着くと、御所の方角を向き、御所におわす天皇に向かって伏し拝みました(望拝)。彦九郎は入京するたびに御所の方を伏し拝んだといわれます。

銅像は昭和3年に昭和天皇のご大典(即位の大礼)を記念して建てられ、台座の文字は、あの東郷平八郎が揮毫しました。その後戦時中の金属供出で一時姿を消し、昭和36年に再建されたものが現在の像になります。少し面白いのは、この像が失われた時代に「像の跡」を示す石碑が建てられたことです。「高山彦九郎先生皇居望拝之跡」と刻まれた石碑は、現在も高山彦九郎像の隣に残されています。揮毫したのは徳富蘇峰ですが、この字、あまり上手くないという評価もあります。

それにしても、高山彦九郎のこの姿、どう見ても「おじいちゃん」。諸文献による限り、この像は「18歳」の彦九郎が三条大橋に至って御所を拝んでいる場面のはずです。また、彦九郎は47歳の若さで九州の久留米で亡くなりましたので、本格的なおじいちゃんにはなっていません。実は、像を作る時に18歳の若者の姿では威厳がないということで、このような風格ある老人の姿で制作されたのだそう。もし現実に即して18歳の若者の姿で作られていたら・・・、よりリアリティのある「土下座」像になってしまったかもしれません。なお、像を制作した伊藤五百亀(いおき)の講演会で展示されていたという彦九郎の像の写真が他のブログにありましたが、こちらは明らかに若い像。もしかすると、これが幻の「18歳」の彦九郎像なのでしょうか。ちなみに西条市教育委員会の作成した作品の散策マップでは、高山彦九郎像を作成中の伊藤五百亀の写真が出ています。

高山彦九郎と京都と言えば、等持院にある足利尊氏の墓を鞭打った話が伝わります。朝敵となり後醍醐天皇に刃を向けた行為が彦九郎は許せなかったのでしょう。尊氏は北朝を立てて正統性を保ちますが、特に江戸時代には逆族としての見解が強く、等持院の尊氏・義詮・義満の3代の木像が三条大橋でさらされるという事件が幕末にも起きています。彦九郎、4回目の上洛時に幸運な出来事が起こりました。長寿の象徴である甲羅に藻の生えた”緑毛亀”を手に入れ、朝廷に献上したのですが、これがなんと天皇の元にも届けられて、御所への参内を許されることになります。光格天皇に拝謁した彦九郎の感激たるや、察するに余りありますね。実際にこの時の感激を「我を我としろしめす かや皇(すべろぎ)の玉の御声のかかるうれしさ」と表現しています。

様々な逸話を残した高山彦九郎は、勤皇思想を説きながら各地を旅しますが、いかんせん生まれた時代が早すぎました。幕府からは目を付けられ、久留米で自刃をしたのも、そのためといわれています(自刃の詳しい理由は不明)。しかし彼の思想は確実に受け継がれ、幕末へと繋がっていきます。かの有名な吉田松陰。実は「松蔭」の名は、実は高山彦九郎の戒名(松陰以白居士)から取られたものです。いわば彦九郎の化身ともいえる吉田松陰が開いた松下村塾は、久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋など名だたる門下生を輩出してきました。知れば知るほど、「土下座」と呼ぶのが恐れ多くなってきます。一方でこの像は以外と受難続きで、最近では頭にペンキをかけられるなどの憂き目にもあっています。主義思想はあるにせよ、大切にして頂きたいものですね。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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「「土下座」で知られる高山彦九郎の像」への2件のフィードバック

  1. 京都旅屋さん、こんばんは。
    高山彦九郎の意外な歴史・・・興味深く読ませていただきました。
    以前、「緑毛亀」が平安神宮の池に生息すると聞き、何度も亀探しに
    行きましたが出会えませんでした。
    緑毛亀は、御所への参内が許されるほどの貴重な生き物だったんですね。

    1. さくらさん
      コメントありがとうございます。
      緑毛亀は私もまだ見たことがありませんが、
      平安神宮の神苑ならばいるかもと思わせてくれますね!
      どこかで見かけましたら、教えて下さい^^

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