重盛ゆかりの白山神社


京都市役所の近くに白山神社があります。この小さな神社、実は平重盛ゆかりと言える神社です。

神社の創建の由来はユニークで、白山の僧兵が強訴に来た際に置いて行った神輿を祀ったのが始まりとされます。実はこの出来事は平家物語にも出てくるお話。西光法師(藤原師光)の子、藤原師高は加賀守になると、非法非礼を行い、旧権力の荘園を没収するなどやりたい放題。また、弟の師経を目代(国司の代理)に任ずると、師経もまた横暴を働きます。白山の末寺である鵜川の寺では、入浴中の僧を追い払って自らが入り、召使には馬を洗わせるなどしたのです。これをきっかけにいさかいが起き、結果的には鵜川の僧坊は全て焼き払われてしまうのです。

怒った白山の衆徒たち。今度は比叡山延暦寺に訴えるために神輿を担いで京都へ上りました。当時の白山は延暦寺の別院となっていたためです。延暦寺は朝廷に師高の流罪と、師経の投獄を訴えますが、なかなか裁可がおりません。業を煮やした白山の衆徒は、三基の神輿を担ぐと内裏へと強訴に向かいました。朝廷では、源頼政と平重盛に御所の門を固めさせますが、頼政の守る場所はもっとも軍が少ないため衆徒はここから入ろうとします。しかし、頼政の巧みな話術によって結果的に多くの軍が守る重盛側の門へと回ることになりました。重盛方は朝廷の命を守って、容赦なく衆徒に攻撃をしかけて死者を出し、神輿の一つには矢が刺さるに至りました。当時は神輿を傷つけると神罰が下ると考えられており(だからこそ強訴が成り立ったわけですが)、恐れおののいた衆徒らは神輿を途中で放置すると比叡山へと逃げ帰ってしまうのです。

こうして残された神輿を祀ったのが白山神社の始まりというわけです。ただ、社伝によると加賀国で横暴を働いたのは平家の武将とされています。藤原師高の父は、後白河法皇の近臣である西光法師ですので、平家の武将という部分は齟齬があると思うのですが、平家物語と同じ話であることは間違いないでしょう。それにしても神輿を恐れず矢を放つとところは、重盛の律儀さを表している物語です。重盛の軍が神輿に矢を放たなければ、この白山神社はなかったかもしれません。

さて、白山神社の例祭はつい先日行われました。白山神社は歯痛平癒のご利益でも知られています。江戸時代の中ごろ、歴代最後の女性天皇でもある後桜町天皇が歯の痛みに悩まされていたところ、女官が白山神社から持ち帰った神箸に神塩を付けると治ったといわれています。また、長寿箸も授与され、赤ん坊の食べ初めに箸に塩を付けて食べさせると、無病息災になるともいわれています。長寿箸は、箸、箸置き、ビニールに入った塩のセットで授与されています。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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