北野天満宮 御旅所の「ずいき神輿」 2012年


北野天満宮の祭礼・ずいき祭が行われ、JR円町駅近くの御旅所にはずいき神輿も鎮座しています。

ずいき祭は毎年10月1日~5日にかけて行われるお祭りで、中でも1日の神幸祭と4日の還幸祭は行列も出て、北野天満宮から西ノ京一帯を練り歩きます。ずいき祭りの由来や昨年の還幸祭の様子については、以前に詳しい記事を書きましたので、よろしければ改めてそちらをご覧ください。

さて、御旅所に鎮座する「ずいき神輿」の四方の飾り付けは毎年異なった物語が描かれており、今年は何だろうかと楽しみにしながら訪れてみました。今年の絵柄は、まず一寸法師が鬼を退治する場面。一寸法師は、大阪からお椀の船で漕ぎだすと、鳥羽の港から京に入り、お姫様の家に仕え、清水寺に参拝した帰りに清水道で鬼に遭遇、針の刀で鬼の目をつついて見事に撃退し、鬼が落とした打ち出の小づちで元の大きさにも戻れたいわれています(場所は諸説あり)。神輿では躍動感ある一寸法師の姿が見事に描かれていました。

もう一つ面白かったのは、雪舟が足と自分の涙でネズミの絵を描く場面です。雪舟はまだ小僧さんの頃、絵にばかり熱中してお経を読むのをさぼっていたため、和尚さんに叱られ、柱に縛られてしまいました。しかし雪舟は床にこぼれおちた涙を墨がわりに、動かせる足でネズミの絵を描いたのです。その見事さに感心した和尚さんは、以後雪舟の絵を咎めなくなったといわれます。雪舟は現在の岡山県総社市の出身で、辺りが相国寺領だったこともあって、京都の相国寺に入ることが出来ました。しかし雪舟の力強い筆使いや大胆で迫力ある構図を得意とする画風は、当時京都で主流だった繊細で筆のタッチも細い周文流の画風とは異なっていて、あまり認められませんでした。そのためか、雪舟の作品で30代以前の作品は一点も見つかっていないそうです。京都で認められなかった雪舟は、相国寺を出て山口の大内氏を頼るなどしながら、80歳を超えるまで旅をしながら絵を描き続けました。雪舟と旅は深いつながりをもっています。

さて、神輿では他にもホオズキの頭が印象的な「飛龍」や、つい先日正式に絶滅となった「ニホンカワウソ」、力士の土俵入りなど、割とタイムリーな話題を元にした作品もありました。境内には近くの子どもたちも来ていて、ずいき神輿の物語作品を見て可愛らしい声をあげていました。ずいき祭も西ノ京一帯の地元のお祭りですね。こうして小さなころから神輿に触れて、やがては神輿を作ったり担ぐ側にもなっていくのでしょう。明日4日は還幸祭。ずいき神輿も威勢よく練り歩きます。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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