粟田祭 夜渡り神事(大燈呂・れいけん祭)


7日の夜には、粟田祭夜渡り神事(大燈呂・れいけん祭)が行われました。

10月の体育の日の前後の京都は、数多くの行事・祭事が行われます。昨年は、大徳寺の虫干し、春日祭、粟田祭などを見てきましたが、今年は粟田祭に加え、平岡八幡宮の三役相撲、北白川天神宮の例祭、そして八瀬で赦免地踊を見てきました。それぞれ順次ブログでご紹介できればと思います。

さて、昨日は石見神楽をご紹介した粟田祭。その翌日の夜は「夜渡り神事」で、大燈呂(だいとうろう)が登場しました。大燈呂(だいとうろう)は約180年前に途絶えましたが、3年前の2008年に京都造形芸術大学の協力で復活しました。学生たちが青森のねぶたをイメージして作った灯籠があまりに見事であったため、神社が依頼をして作成したそうです。復活に際しては古文書を調べ、氏子への聞き取り調査も行って燈籠のテーマを決めるなどされたそう。今年は4基が新調され、これまた見事な「ねぶた」が披露されました。

新作の中でも目を引くのがクシナダヒメ。粟田神社の御祭神の一人です。クシナダヒメは「大和撫子」の名前の由来ともいわれ、なでしこジャパンが活躍する昨今にあうモチーフかもしれません。粟田神社は近くにある八坂神社と同じ御祭神を祀っています。

粟田神社はもとは付近に勢力を持った粟田氏の氏神でしたが、平安時代の清和天皇の時、都に疫病が流行った際に、天皇の使いが八坂神社に7日間こもって国家と民の安全を祈祷すると、その7日目の夜、夢の中に老人が立ちました。その老人は「私はオオナムチ(大国主命)である。祇園の東北に牛頭天王にゆかりの地があるので、その地に私を祀れば、必ず国家と民衆は安全である。」と告げて消えました。そうしたお告げから、粟田神社の社を整備して八坂神社の御祭神で牛頭天王と同一視されたスサノオとその妻・クシナダヒメ、お告げに現れたオオナムチを祀り、厄除けの神として信仰されました。また、粟田神社は八坂神社の旧名・祇園感神院と対応して、「感神院新宮」と呼ばれていました。現在でも粟田神社の鳥居には「感神院新宮」の扁額がかかっています。

大燈呂は、他にも聖天(しょうてん)、山越えの弥陀が新登場で、出世えびすは新しく作りなおされました。聖天は歓喜天ともよばれる仏教の守護神で、像の頭に人間の体を持ち、抱き合っている姿で表現されます。そのため夫婦和合の象徴でもあり、一般的には秘仏として直接目に触れることは少ない仏様です。一心にお願いをすれば七代分の福を集めてしまうといわれるほど強力な御利益もあるそうですが、一方で信心や奉仕を怠ると命まで奪うともいわれるハイリスクハイリターンな信仰を持つ仏様です。

山越えの弥陀は、永観堂が所蔵する国宝が有名で、臨終の際に山を越えて悠然と迎えに来る阿弥陀如来を表現しています。一方、知恩院では同じく国宝で「早来迎」とも呼ばれる阿弥陀二十五菩薩来迎図が知られており、同じ来迎でもゆったりや山を越えてくるような静と、急ぎかけつける動とがあるのが面白いところです。

さて、大燈呂は知恩院の黒門前にある瓜生石(うりゅうせき)の辺りに進み、石の前では「れいけん祭」が行われます。瓜生石は知恩院ができる前からあると言われている石で、知恩院の七不思議のひとつとしても知られています。この石に八坂神社の牛頭天王(スサノオ)が降臨して、一夜のうちに石の上に瓜が生えたとされています。また、二条城への抜け道だとか、隕石ではないかという説もある不思議な石。粟田神社は、その石から生えた瓜を安置した場所に建てられたとされることから、ここで儀式が行われているのです。

「れいけん祭」は、粟田神社と知恩院との合同行事で、神仏習合の儀式形態を色濃く残す祭事です。雅楽や祝詞が聞こえたかと思えば、お念仏も高らかに響き、お坊さんが玉ぐしを奉納し、榊を持った神職の後にお坊さんが続いて歩きます。その珍しい光景を見ようと、辺りには多くの方が訪れていました。

粟田祭はまだ続きがあります、翌日の8日は神幸祭で、剣鉾や神輿が出て大燈呂も氏子町内を進んで行きます。その様子も近日中にブログでご紹介したいと思います。


ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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