水尾の里の清和天皇陵


先日、水尾清和天皇陵を訪ねてきました。清和源氏の祖としても名高い天皇は、静かな山里に眠っています。

以前のブログで右京区の端、越畑や樒原をご紹介しました。現在の行政区分で見れば、道路も京都側から水尾→樒原→越畑と続いていきますが、樒原と水尾とは峠を隔てており、かつては越畑や樒原は丹波国、水尾からは山城国となっていました(水尾が丹波とされた時期もある)。名前の由来は「きれいな水が湧くところ」。その水尾は古くから知られていた集落で、まだ都が奈良の平城京にあった頃に、当時の光仁天皇が訪れた記録があり、長岡京に都が移った後にも桓武天皇が行幸した記録が残ります。とはいえ、水尾が山間の小さな山里であることには変わりはありませんでした。

この地を最期の地と定めたのが平安時代の清和天皇です。清和天皇は清和源氏の祖としても知られますが、武士の祖先らしい荒々しさは無く、学問を愛した天皇で、鷹狩りなどにも興味を示さなかったと伝わります。清和天皇(惟仁親王)の母は時の権力者であった藤原良房の娘・明子(あきらけいこ)で、京極四条に残る染殿地蔵への祈願によって誕生した逸話も知られます。父の文徳天皇は、良房の力で皇太子となり即位することが出来たため、良房の顔色をうかがわざるを得ないという事情がありました。文徳天皇は本当は第一皇子である惟喬(これたか)親王を皇太子としたかったのですが、良房はその絶大な権力で自らの孫・惟仁(これひと)親王をわずか8カ月で皇太子にし、親王は文徳天皇の死に伴って9歳で清和天皇として即位しました。当然、天皇自ら政治を行うことはできず、祖父の良房が人臣初の摂政に任じられ、藤原氏の摂関政治が始まっていくのです。

このように清和天皇の治世はほぼ良房の治世ともいえます。27歳になった清和天皇は、第一皇子の貞明親王(陽成天皇)に位を譲り、30歳で出家して仏門に入ると、近畿の寺々を巡りながら厳しい修行を続けました。しかし、それが健康を害したのか、水尾の地に入るとここを終焉の地と定め、水尾山寺の建立を始めます。寺が完成するまでの間、嵯峨の栖霞観(せいかかん:現在の清凉寺の場所)で過ごしましたが、やがて病を発病。最期は東山(現在の平安神宮から永観堂付近と推定)にあった円覚寺で迎えました。享年31歳。お経を唱え、西を向き、結跏趺坐(けっかふざ)をして、手には定印を結んだまま最期を迎えたといわれています。亡骸はその地で火葬にふされ(現在、金戒光明寺の墓地内に火葬塚があります)、灰は生前の意思にならい水尾山上に置かれたとされます。

嵯峨天皇以来、陵墓を作らない薄葬が進んだため、現在宮内庁が指定している清和天皇陵は正確にこの場所ということではありません。実際にはこの水尾の山のどこかで眠っているというのが正しいでしょう。しかし、水尾の里に立ち清和天皇陵のある山並みを眺めていると、平安の昔にこの地で最期を迎えようとした天皇に思いを馳せることが出来ます。

水尾の里には、天皇を祀る清和天皇社と東山から移された円覚寺があって、清和天皇のゆかりを今に伝えています。現在の円覚寺が立つ場所は、清和天皇のために建てられた水尾山寺の跡で、本尊の薬師如来は清和天皇の念持仏といわれ、天皇の座像もあるそうです。清和天皇社へは、水尾の名前の由来を彷彿とさせる清らかな水が流れる谷まで下り、そこからつづれ折りの険しい山道を登って行った先にあります。数ある天皇陵の中でも5本の指には入る難所ですので、達成感はあるでしょう。

水尾を眺めていて私が思い出したのは、清和天皇の兄・惟喬(これたか)親王のこと。本来であれば天皇になっていたかもしれませんが、惟喬親王も雲ヶ畑や大森、大原などの山里に隠棲し、各地に木地師の祖先としての伝承も残しています。清和天皇とは母は違えど同じ父を持ち、同じように山里に安住の地を求めたのはやはり血筋なのでしょうか。惟喬親王ゆかりの山里を巡るのも面白く、京都市街地では玄武神社、雲ヶ畑の高雲寺・惟喬親王社、大森の安楽寺や長福寺の惟喬親王塔、大原にある宮内庁指定の惟喬親王墓など、私も一通りの史跡を訪れたことがありますので、どこかで機会があればブログに書きたいと思います。

さて、現在の水尾は柚子の里として知られますが、越畑・樒原・水尾の三集落では、水尾が最も山が険しい印象です。交通の便は悪く、嵯峨野から道はあるものの、道幅がせまく、車の離合も困難な場所が続きます。JR保津峡の駅からも4kmほどの道のりがあります。集落には京都側に小さいながらも駐車場(有料:500円)があるので、自家用車の方はそこに停めて下さい。集落には車が停められる場所は一切ありません。JR保津峡からは一日に何本かのバスがあります(毎週木曜日・祝祭日・年末年始・お盆運休)。水尾の里では、冬場に柚子風呂と鳥すき又は鳥の水炊きを民家で楽しむことができ、予約をすれば送迎も可能なようです。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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