積善院準提堂の五大力さん


京都で「五大力さん」といえば、餅上げのある醍醐寺が圧倒的に有名ですが、聖護院の塔頭・積善院準提堂の五大力さんも大いに賑わいます。

積善院準提堂(しゃくぜんいんじゅんていどう)は須賀神社の向かいにあり、普段は訪れる人も多くはない場所です。積善院と準提堂は、元はそれぞれ別なお寺でしたが、明治の初めころに合併して、現在は元準提堂の建物を本堂にし、中には準提観音(准胝観音)と、積善院の本尊であった不動明王を祀っています。本堂の向かって左手側に立つのが元積善院のお堂(行者堂)で、役行者像や阿弥陀如来像が安置されています。

京都で単に「五大力さん」といえば、醍醐寺の五大力尊仁王会の餅上げ奉納のことです。一方、積善院準提堂でも「五大力さん」が行われていて、地元の方を中心に大いに賑わっています。醍醐寺の五大力尊はいわゆる五大明王(不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王)を差しますが、積善院準提堂の五大力尊は醍醐寺とは仏の種類が異なり、金剛吼菩薩(こんごうくぼさつ)、竜王吼菩薩(りゅうおうくぼさつ)、無畏十力吼菩薩(むいじゅうりきくぼさつ)、雷電吼菩薩(らいでんくぼさつ)、無量力吼菩薩(むりょうりきくぼさつ)を差し、これらを総称して五大力菩薩と呼びます。

五大力菩薩は仁王経に登場する菩薩で、三宝(仏・法・僧)と国土を守る仏です。非常に強い力(能力)を持っているため「大力」と書かれ、五大力尊は「仏教と国土を守る、非常強い力を持った5尊の菩薩」と言いかえることができます。このように五大力尊は国家守護の仏であり、ひいてはその国の民を守る仏として庶民からも信仰を集めました。日常的な願いを叶えて下さるともされ、江戸時代にはかなり流行ったようです。

また、五大力尊の姿は、明王像のように忿怒(ふんぬ)の様相で表される点も特徴で、密教で祀られる五大明王は、五大力菩薩に由来するとされます。つまり五大明王よりも、五大力菩薩の方がルーツが古く、同じ「五大力さん」でも、醍醐寺が五大明王で、積善院準提堂が五大力菩薩であるという違いも、元は同じ仏であるということで説明できます(なお、五大力菩薩は金剛波羅蜜多菩薩などにも派生しています)。

前置きが長くなりました。積善院準提堂の五大力さんです。聖護院は修験道の山伏の寺ということで、境内には山伏さんがおり、一人一人を祈祷して下さいます。また、災難除け・泥棒よけのご利益がある護符も、醍醐寺同様に授与されています。この日に限って、五大力尊の画像も公開され、午後からは護摩供養も行われます。以下、調べ足らずの「個人の感想」です。聖護院は天台系の、醍醐寺(三宝院)は真言系の、それぞれ修験道の本山寺院ですが、醍醐寺の開創時には准胝観音がまず祀られ、五大力尊(五大明王)と准胝観音は関連して祀られているようです。それぞれ異なる寺と宗派ながら、醍醐寺と積善院準提堂との共通点も様々に感じられました。

積善院準提堂では、粕汁の無料接待もあり、本堂に蝋燭が献灯されるたびに、「蝋燭1丁~!」と山伏によるかけ声が上がり、祈祷が始まるのも印象的でした。他にも、護摩木の奉納もできます。門前では時折法螺貝も吹かれ、付近の八ツ橋屋さんが臨時の出店も出されています。また、特別公開中の聖護院へも案内があったりと、普段の静けさが嘘のように、大変賑わっている印象でした。醍醐寺まで行くのは大変だという方にもおススメの「五大力さん」です。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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