長尾天満宮 菅原道真の衣裳塚


ここ最近、醍醐寺・北野天満宮とご紹介してきましたので、今回はその二つを繋ぐ史跡、長尾天満宮にある菅原道真の衣裳塚をご紹介してみます。

長尾天満宮は醍醐寺の山門に向かって左手側(理性院方面)に進むと、長い階段が続く神社として現れます。なかなかこの階段を上ってみようとは思わないかもしれませんが、意外と面白いものが待っている神社です。長い階段の途中に石標があるのが「頼政道跡」。平安末期、以仁王が平家に対して反旗を翻した際、以仁王に与した源頼政が近江の園城寺から敗走する途中に通った道だといいます。道は日野の里を抜けて、宇治へとつながり、源頼政は宇治で平家軍に敗れて平等院内で自害しました。

さらに階段を上って行き、皇大神宮の鳥居に向かって左には長尾天満宮の社殿があります。長尾天満宮は醍醐の氏神さんとも呼ばれる社で、ご祭神は菅原道真。醍醐天皇の勅願によって道真の霊を慰めるために祀られたとされますが、醍醐天皇の死後、北野天満宮の創建後にできたとする異説もあり、実際のところはどうでしょうか。本殿は、江戸時代の1821年に再建されたもので、見事な装飾が残っている点が特徴です。建てられた当初はさぞ見事であったことが想像できますので、一見の価値がある建物です。

さて、菅原道真の衣裳塚は、皇大神宮の鳥居に向かって左にあります。道真は醍醐寺を開いた聖宝と親交があり、醍醐寺にも訪れたことがあります。その際に聖宝に、自分が死んだらこの地に墓を立ててほしいと願ったのです。道真は聖宝より10歳以上も若かったのですが、何か思うところがあったのでしょうか。やがて失脚した道真は聖宝より先に亡くなることとなります。

道真が太宰府で亡くなると、その衣服と遺物が太宰府から持ち帰られ、観賢が生前の意思にしたがって埋めたのが、長尾天満宮の衣裳塚だということです。実は道真を左遷した醍醐天皇の陵墓は、この衣装塚から直線距離で800mほどしか離れていない場所にあります。醍醐天皇陵は確実に埋葬されていることがわかっている数少ない陵墓の一つですので、衣装塚とはいえ、こうして二人が至近距離で眠っているのも歴史の因縁かもしれません。

なお、長尾天満宮から下醍醐の拝観ゾーン「伽藍」には直接は入ることができず、再び長い階段を下りて山門へと戻る必要があります。ただ、上醍醐の登り口の女人堂へは行けなくもありませんが、女人堂から「伽藍」へは一方通行のゲートを戻ることができないため、結局は「伽藍」に入るためには山門に回り道をして戻らねばなりません。ということで、下醍醐に訪れる方には完全に寄り道にはなりますが、機会がありましたら一度足を伸ばしてみてください。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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