松永貞徳ゆかりの花咲稲荷社


京都の街中、間之町通松原上るに、花咲稲荷社があります。俳諧の祖、松永貞徳ゆかりの神社です。

京都の街中には、数々の小社がひっそりと残っています。それぞれが深い歴史を秘め、古の物語を現代に伝えるよすがともなっています。花咲稲荷社もそんな街中に隠れる神社の一つ。この地には、江戸時代の初め、俳諧の祖とされる松永貞徳が60代で移り住んだと伝わり、神社の前には「松永貞徳花咲亭址」の石碑も立っています。その邸宅の鎮守として創建されたのが、花咲稲荷社です。

松永貞徳は京都出身の人物で、和歌を細川幽斎に、連歌を里村紹巴に学びました。若き日は豊臣秀吉に仕え、行政文書の作成官なども経て、晩年、俳諧の指導者となり、その俳諧を貞門俳諧と称します。友人先輩としては藤原惺窩(せいか)、林羅山(らざん)、木下長嘯子(ちょうしょうし)らがいました。それまで連歌の一部とされていた「俳諧」が、独立した一分野として確立したのは貞徳の頃。俳諧には、元々滑稽や戯れという意味がありますが、貞徳は和歌や連歌の表現の中でも滑稽さを重視して、さらには連歌ではあまり使われなかった日常の言葉や漢語(俳言:はいごん)を用い、堅苦しくなく、より気軽で親しみやすい「俳諧」を作り出したのです。

貞徳の弟子には、北村季吟がおり、さらにその弟子には松尾芭蕉が出てきます。俳諧から俳句へ、さらには川柳や狂歌など、天下太平の江戸時代には歌一つとっても、様々に洗練・派生していきました。何気ない町中にも、こうして歴史や文化をしのべる場所が無数にあるのが面白いですね。なお、松永貞徳は、雪月花三名園の作者としても知られます。妙満寺の雪の庭は、以前にご紹介しました。まさしく、「一芸に秀でる者は多芸に通ず」です。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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