乙訓寺の牡丹と長岡天満宮のキリシマツツジ

乙訓寺の牡丹
少し前に、長岡京の乙訓寺長岡天満宮に行かせて頂きました。乙訓寺は牡丹が見頃、長岡天満宮もキリシマツツジが真っ赤に咲き誇っていました。

真っ赤なキリシマツツジ訪れたのは先週の27日。直近とは開花状況が異なる点をご注意ください。なお、今日(1日)の段階で、乙訓寺はまだ見頃(ただし見頃の後半)。長岡天満宮は、4月30日の段階で南側は痛み、北側は満開少し過ぎとのこと。いずれにしても早めに行くようにして下さい。さて、乙訓寺(おとくにでら)の牡丹は2000株と、京都では有数の本数を誇りますが、乙訓寺が牡丹の寺となったのは、昭和9年の室戸台風をきっかけとしています。

乙訓寺 牡丹京都の過去130年以上の観測史の中で最も強い風を吹かせた、昭和9年の室戸台風。かつての乙訓寺は、松並木が美しい寺として知られていましたが、室戸台風の暴風によって松はほとんどが倒れてしまいました。その無残な境内を目にして心を痛めたのが、乙訓寺の本山である奈良の長谷寺の当時の住職。この時、長谷寺から2株の牡丹の花が乙訓寺に贈られました。その後、歴代住職らの尽力によって株数が増え、今や2000株の花が境内を彩って、京都で牡丹といえば乙訓寺の名前が第一に挙がるほどにまでなりました。乙訓寺の牡丹の花は、いわば「災害復興のシンボル」ともいえるのです。

乙訓寺 クロガネモチ牡丹の時期の境内では目立ちませんが、立派に生える「モチノキ(クロガネモチ)」も室戸台風を生き延びた樹木です。室戸台風では幹が折れ、平成に入ると枯れ枝が目立って、そこから雨水が入り、内部の腐食が進んで空洞化。衰えが進んでいましたが、対策をこうじることで樹勢が回復してきました。現在は、京都府でも屈指の大きさを持つ名木として、地元の方に親しまれています。

乙訓寺 牡丹乙訓寺は歴史や仏像の面でも面白く、先日、まいまい京都さんの散策で樫原をご案内したコースで、古代寺院である樫原廃寺跡に立ち寄りましたが、実は乙訓寺は今は多くが消えてしまった古代寺院が現代に存続しているお寺です。空海と最澄の出会い、桓武天皇の弟にして悲劇の皇族・早良親王の供養塔、合体大師という特異な本尊に秘められた物語など話のタネは多く、秋の紅葉は隠れ名所だと思います。

乙訓寺 牡丹の番傘境内の牡丹の花は、今年も「花の王」にふさわしい、気品あふれる姿を見せてくれました。花には日除けと雨除けで白い番傘がさされていて、新緑ともよく似合っています。牡丹の花は桜のように一斉に咲くのではなく、椿のように順々に咲いていきます。乙訓寺では痛んだ牡丹の花を丁寧に取り去っていて、常に美しい株が見られる配慮がなされています。花はまだまだ楽しめそうですので、よければ足を延ばしてみて下さい。

長岡天満宮 キリシマツツジ乙訓寺の南にあるのが、長岡天満宮。まさに「燃えるような」という表現がピッタリのキリシマツツジの参道は本当に見事。人の背丈よりも高い深紅のツツジ並木は圧巻の一言です。例年、日当たりのよい南側は開花が早く痛みも早いのですが、この日(27日)は、南側も北側も満開という最高の日に出会うことができました。

長岡天満宮 キリシマツツジ個人的な好みを書けば、やはり青空の日が最高です。赤と青の見事なまでのコントラストが望めるのは、京都の一年の間でも、この時期の長岡天満宮でしかありえないでしょう。キリシマツツジの参道の両側には、八条ヶ池が広がって、遠くからでもその真っ赤な花を感じることができます。

乙訓のタケノコ乙訓はタケノコの産地で、この時期、長岡京一帯ではタケノコが露店で売られています。柔らかいタケノコを作るために藁と赤土を交互に敷き、ふわふわとした布団のような柔らかい土で育つのです。これは大変な重労働で、乙訓のタケノコが高級食材であることも頷けます。また、手入れされた竹林の美しさは、正直、嵯峨野の竹林さえしのぐほど。なかなか駅近くにはありませんが、いずれ乙訓の「本場」の竹林を横目に見る散策も実施したいと思っています(コースはもう考えてあります)。洛西も面白い場所がたくさんありますので、多くの方にその魅力を知って頂けたらと思いますね。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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