嵯峨祭と剣鉾差し

嵯峨祭 還幸祭 剣鉾
5月の終わりに嵐山・嵯峨野で嵯峨祭の還幸祭が行われました。

嵯峨祭 還幸祭 剣鉾嵯峨祭は、愛宕神社と野宮神社のお祭りで、両神社の神輿が嵐山・嵯峨野を練り歩きます。愛宕神社は愛宕山の山頂に社殿があり、京都を代表する火除けの神として広く親しまれれている神社。一方の野宮(ののみや)神社は、観光客を中心に嵯峨野の縁結びの神としてガイドブックでもおなじみの神社。一見、この二つの神社には直接的な繋がりはないように見えます。

嵯峨祭 還幸祭 剣鉾と神輿ただ、愛宕神社は、神仏習合時代には白雲寺と呼ばれて大覚寺の管理下に置かれ、その大覚寺は嵯峨天皇の離宮を由来とし、その嵯峨天皇の皇女が斎宮として身を清めた地が野宮、すなわち現在の野宮神社のルーツです。連想ゲームのようですが、まとめると愛宕神社と野宮神社は大覚寺を通じて繋がっているといえます。また、実際の祭りの運営も氏子圏が重なっているために行いやすいのかもしれません。現在は二社あわせて祭りを行い、嵯峨祭と呼ばれています。

嵯峨祭 還幸祭 剣鉾の飾り嵯峨祭は歴史の古いお祭りで、「京都三大祭」には明治に創始されて歴史の浅い時代祭ではなく、この嵯峨祭を入れるほうが適切だとする意見もあります。室町時代末期(戦国時代)の公家の日記にも見物の記録が残り、鎌倉時代には行われていたとされていますが、由来については不明な点も多く、近年では平安時代に起源を持つとする説も出されています。また、江戸時代に描かれた見事な「嵯峨祭絵巻」の複製は清凉寺で展示されています(本物はアイルランドのチェスター・ビーティー図書館に所蔵されています)。

嵯峨祭 還幸祭 剣鉾を差す見どころの一つは澄んだ音を響かせる剣鉾。剣鉾はその音や、輝き尖った剣先で災厄をもたらす疫神(えきじん)を集め、神輿が巡行する道々を清めて行くためものです。京都の他のお祭りの剣鉾では、歩く動作で上下に振りながら鳴らして行きますが、嵯峨祭の剣鉾は左右のひねりで、カネをグルグルと巻きつけるように回して音を響かせるのが特徴です。この剣鉾は京都市の無形文化財に指定されており、古くからの形態を伝えているのでしょう(ただし、粟田神社・西院春日神社・平岡八幡宮・八大神社の剣鉾も同様に無形文化財に指定されています)。

嵯峨祭 還幸祭 剣鉾鉾自体は数十キロの重さがあり、持ち上げるだけでも大変なもの。しかも嵯峨祭の振り方は上下に振る方法よりも難易度が上がり、かなりの熟練の技を要します。逞しさを感じる足腰の筋肉をした男性たちが音を響かせて歩いて行く様子は、感動すら覚えるほどです。剣鉾は地元の町内によって支えられていますが、嵯峨祭の剣鉾は一つの町内ではなく複数の町内によって維持されているとのことでした。・・・次回は、嵐山の長辻通から御旅所にかけての様子をご紹介します。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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