高桐院 灯籠や手水鉢

大徳寺 高桐院 春日灯籠
今回も大徳寺の高桐院です。

大徳寺 高桐院美しいお庭に囲まれた客殿(本堂)西側部分は「鳳来」という茶室になっています。この茶室は、裏千家13代「円能斎(えんのうさい)」好みの茶室です。実は今年の大河ドラマ「八重の桜」の主人公である新島八重が、夫の襄と死別した後にお茶を教わるのが円能斎。八重よりもずっと年下の家本でした。今でこそお茶の世界は女性が多いですが、江戸時代まではお茶は武士のたしなみで男性が習うものとみなされていました。

大徳寺 高桐院明治になってもその考え方は根強く、しかも八重が習い始めた当時の裏千家は経済的に困窮し、家本だった円能斎も現在の小川通の茶室はいられず、荒神橋近くに住んでいるというありさまでした。そんな今とは全く世界観が異なる”お茶”の世界に入っていった八重の「ハンサム」な心意気を想像せずにはいられません。八重が「女性の茶」を広めたといっても過言ではなく、今後の大河ドラマでの描かれ方も楽しみな部分です。

大徳寺 高桐院 細川家歴代の墓高桐院の茶室・鳳来からは、西側の庭を掛け軸のように切り取って眺めることもでき、様々な角度からお庭を堪能できるのもこのお寺の魅力の一つと言えるでしょう。本当にこの日は、他に誰もおらず贅沢過ぎる時間を感じさせて頂けました。

欠けた春日灯籠お庭の西側には細川忠興とその妻ガラシャの墓石の春日灯籠が立っています。利休が秀吉にこの灯籠を渡さないために欠いたのは裏面の3分の1ほどで、表から見える部分の蕨手という突起部も欠けているのは、忠興が完全を嫌って自ら欠いたという記録が残っています。およそ400年の時を経てひなびた姿にも茶道に生きた利休と忠興の好みも息づいているようです。なお灯籠の隣には、細川家歴代の墓所も設けられています。

大徳寺 高桐院 袈裟型の手水鉢もう一つ、高桐院で知られるのは袈裟型(けさがた)の手水鉢。加藤清正が朝鮮の王城の羅生門礎石を持ち帰り、忠興に送りました。地面に低く収められているので、降りつくばいとも呼ばれています。忠興はこの手水鉢を愛用し、熊本や江戸の参勤交代にも持ち歩いていたそうです。苔むしたその様子は忠興当時とは少し違うのかもしれませんが、高桐院にふさわしい趣ある手水鉢だと感じます。

大徳寺 高桐院 袈裟型の手水鉢今回と前回とで高桐院について書いてきました。京都には数々のお庭がありますが、高桐院は紅葉の時も素晴らしく、庭を埋める散り紅葉も見事です。あるいは雪景色の時にも期待通りの風景で迎えてくれます。四季折々に素晴らしいお庭、金閣寺からも行きやすいのでコースに加えてみてもよいでしょう。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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