粟田祭 夜渡り神事 大燈呂 2013年

粟田祭 大燈呂 相槌稲荷
13日の夜に粟田神社の粟田祭で、夜渡り神事が行われました。京都のねぶたとも呼ばれる大燈呂(だいとうろ)の新作が今年は多数登場しました。

粟田祭 大燈呂 出世恵比須粟田神社の粟田祭は、剣鉾が登場する祭として京都検定のテキストに載っていますが、剣鉾以外にも石見神楽や、青蓮院への神輿入り、神仏習合の儀式など見どころが多いお祭です。剣鉾や神輿が出る神幸祭の前日の夜に行われるのが、「夜渡り神事」。そこに登場するのが、大燈呂(だいとうろ)です。

粟田祭 大燈呂 ヤマタノオロチ大燈呂(だいとうろ)は約180年前に途絶えましたが、2008年に京都造形芸術大学の協力で復活しました。学生たちが青森のねぶたをイメージして作った灯籠があまりに見事であったため、神社が依頼をして作成したそう。復活に際しては古文書を調べ、氏子への聞き取り調査も行って燈籠のテーマを決めるなどしています。

粟田祭 大燈呂 相槌稲荷毎年新作が登場するため、私も毎年見に行っています。今年は5基が新調され、合計9基もの立派な行列となりました。モチーフはいずれも神社にまつわるものですが、まず小型化されたのが、相槌稲荷とヤマタノオロチ。昨年までは比較的大型でしたので、古川町商店街や青蓮院のクスノキの下をスムーズに通るために小型化されたのかもしれません。

粟田祭 大燈呂 牛頭天王同じくデザインが変わったのが牛頭天王(ごずてんのう)。粟田神社のご祭神であるスサノオノミコトと同一視される仏教の存在です。筋骨隆々の肉体が際立っていました。粟田祭では知恩院や青蓮院で神仏習合の儀式も行われるため、大燈呂も神仏のモチーフが入り混じっていますね。

粟田祭 大燈呂 烏天狗完全な新作では「烏天狗」がいました。以下推測です。粟田神社には出世恵美須が祀られていますが、元は蹴上付近にありました。源義経が奥州に旅立つ際にこの恵美須に祈願をして、その後に平家を倒すにまで出世(活躍)したと伝わっています。義経は、牛若丸と呼ばれていた時代に鞍馬寺で烏天狗から武芸を教わったとも伝わるため、烏天狗がいるのかもしれません。

粟田祭 大燈呂 一つ目小僧もう一つの新作には、「一つ目小僧」がありました。これもなぜ大燈呂にいるのか難しいですが、粟田神社の境内には鍛冶神社が祀られています。そのご祭神には、刀工である三条小鍛冶宗近のほかに、鍛冶の神である天目一筒神(天目一筒神:アメノマヒトツノカミ)もいます。粟田神社のある粟田口は、古くから刀工が住んだことでも有名で、八坂神社の境内にも鍛冶神社があって、同じ天目一筒神が祀られています。

粟田神社 鍛冶神社この天目一筒神は、「目一(まひとつ)」とも名がつくように、目が一つの神様です。これは、刀工が刃物を作る際には、刀身がまっすぐであることを確かめる際に片目を閉じて調べたからだとか、あるいは鉄の温度を知る時にその色を見る時は片目を閉じるところに由来するとされます。おそらく「一つ目小僧」は、この天目一筒神をモチーフとしているのでしょう。

粟田祭 大燈呂 牛頭天王さて、夜渡り神事では、大燈呂は知恩院の黒門前にある瓜生石(うりゅうせき)の辺りに進み、石の前では「れいけん祭」が行われます。瓜生石は知恩院ができる前からあると伝わる石で、知恩院の七不思議のひとつとしても知られています。この石に八坂神社の牛頭天王(スサノオ)が降臨して、一夜のうちに石の上に瓜が生えたとされています。また、二条城への抜け道だとか、隕石ではないかという説もある不思議な石。その石から生えた瓜についていたお札に粟田神社の旧名である「感神院新宮」と書かれていたとされることから、瓜生石で儀式が行われています。

お祓いを受ける僧侶粟田神社は、その石から生えた瓜を安置した場所に建てられたとされることから、ここで儀式が行われています。「れいけん祭」は、粟田神社と知恩院との合同行事で、神仏習合の儀式形態を色濃く残す祭事とあって、物珍しさからか多くの方が辺りを囲んでいます。今年も無事に行われた粟田祭。次回以降で、神幸際の神輿の様子などをご紹介します。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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