薄葬を望んだ天皇の墓 嵯峨天皇陵(淳和天皇陵)

嵯峨天皇陵
大覚寺の北西の山上に嵯峨天皇陵があります。弟の淳和天皇と並んで薄葬を望んだ天皇の陵墓です。

嵯峨天皇陵天皇陵シリーズ、今回は嵯峨天皇陵です。嵯峨天皇は御存じの方も多いことでしょう。桓武天皇の子で、天皇の在位としては桓武天皇(父)→平城天皇(兄)→嵯峨天皇→淳和天皇(弟)→仁明天皇(子)と続いていきます。天皇自身は、平安時代初期の字の上手い人「三筆」の一人にも数えられる程の優れた漢詩人で、同じく三筆の一人である弘法大師・空海に東寺を与えたことでも有名です。小野篁との「無善悪」のやり取りや、大覚寺の前身となる嵯峨院の造営でも知られ、後に続く王朝文化の旗頭ともいえる天皇でした。

嵯峨天皇陵一方で、兄の平城上皇との確執(薬子の変)もありました。この時は、平城上皇をそそのかした藤原仲成が死罪となり、薬子は自殺。平城上皇は出家し、上皇の子であった皇太子が廃されて、弟の大伴親王(後の淳和天皇)が新たな皇太子となりました。こうして「皇室の長」としての地位を確立した嵯峨天皇(上皇)。その後の治世は比較的平穏で、平安時代を象徴する王朝文化が花開いていくことになります。ちなみに、平安時代の次の大きな事件は、嵯峨上皇が亡くなった直後の承和の変で、嵯峨上皇が目の黒いうちは藤原氏も行動を起こせないほどでした。

嵯峨天皇陵 参道からの眺めやがて嵯峨天皇は、弟に位を譲って淳和天皇とし、さらにその皇太子であった自らの子・仁明天皇が即位します。しかし、亡くなる順番はこの通りではありませんでした。弟の淳和天皇(上皇)のほうが先に亡くなってしまいます。淳和天皇は、一般にはそれほど有名ではありませんが、天皇陵参拝者の間では名の知れた天皇でしょう。その陵墓は、歴代天皇陵の中でも指折りの行きにくい場所にあるためです。現在は、車で直接行く手段はなく、金蔵寺から山道を徒歩で向かう方法が最も早いでしょう。私も訪れたことがありませんので、ここでは物集女(もずめ)にある火葬塚の写真を掲載します。

淳和天皇火葬塚淳和上皇は死期を悟ると、自分の子である皇太子(恒貞親王:仁明天皇の皇太子)を枕元に呼んで遺言を残します。自分の葬式は徹底的に費用を削減し人びとの負担を少なくすること。さらに、魂は肉体を離れて天に帰るので、地上に墓を作っても無意味である。それどころか、その抜け殻となった肉体に鬼がついて災いをもたらすことがあるので、亡くなった後は火葬にし、自分の骨は砕いて粉にして、山の中に撒いてほしいと伝えました。

淳和天皇火葬塚当時の文化の中で既に「散骨」はありましたが、天皇経験者が散骨されるというのは前代未聞で、当時の貴族からもなんとか思いとどまってほしいとの動きも起こりました。しかし、淳和上皇は最後の頼みであるから聞いてほしいといって、そのまま亡くなりました。結果的には、淳和上皇の遺志の通り、京都の西にある「大原野西峰」の山に散骨されました。現在の陵墓は、散骨されたという大原野西峰(小塩山)の、山頂付近に造営されています。正確な散骨場所は分かりませんので、なんとも行きにくい山頂付近に造ってしまいました。

嵯峨天皇陵 参道は険しい階段嵯峨上皇は、淳和上皇が亡くなった2年後に亡くなります。嵯峨上皇も弟と同じく薄葬を望み、長い遺言を残しています。そこには自分の葬儀のやり方が事細かに指示されています。ただ、弟の淳和上皇が散骨をして貴族から反対を受けているのを見ていたため、散骨までは指示しませんでした。そのかわり、山の上に自らの亡骸は埋めて、その後は隠してしまうようにとしています。

嵯峨天皇陵 参道からの眺めしかも、1年ほどは参拝に来てもよいけれども、それ以後はお参りもしてくれるなといいます。供養などは、するほうが自分は浮かばれないから、絶対にするなというのです。嵯峨天皇といえば、空海に東寺を与えた人物ですが、死後の供養は必要ないというのも驚きです。結局、嵯峨上皇の亡骸は嵯峨院の裏山、現在の大覚寺の裏山のどこかに埋められたと伝わっています。その後、嵯峨院が寺に改められた大覚寺では、北西の山の頂上に嵯峨天皇が葬られていると言い伝えられ、山の山頂には「御陵岩」と呼ばれる大きな岩が露出していたそうです。そして、幕末から明治期に天皇陵が定められた際、この岩に土を盛って古墳のようにし、嵯峨天皇陵が造営されました。

嵯峨天皇陵 参道からの眺め 大覚寺このように現在の嵯峨天皇陵は山の上にありますので、登り口からは険しい階段が続き、途中からはつづら折りにもなっていきます。やがて嵯峨野はおろか京都を一望できる景色も広がって来ますので、チャレンジされる方は励みにされるとよいでしょう。嵯峨院の時代に築かれた人工の池である大沢池や、その奥の広沢池も美しく望むことができます。健康増進のために、日々登っている地元の方のかたもおられるようです。ハンミョウがいて”道案内”をしてくれるような道ですので、歩きやすい靴で訪れて下さい。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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