節分の夜 懸想文売りと仏様

釘抜地蔵の夜
2月2日・3日を中心に京都では節分行事が行われました。中には、夜まで門を開いて下さっているお寺や神社もあり、この時期に公開される仏様もあります。須賀神社では懸想文売りも頑張っていました。

大雪にも警戒をまずは気象の話。7日夜から近畿全般に雪となり、普段は積もらない南部でも積雪の可能性があります。8日には雨に変わりますが、問題は「いつ雨に変わるか」です。予想が難しいですが、今のところの報道のシナリオでは8日朝までは雪で、昼までに雨に変わる可能性が高いです。沿岸部ほど早く雨になりやすく、反対に内陸部では雪で降る時間が長く大雪となる可能性もあります。一方で、朝には既に雨となっている可能性も予報の幅としてはあり得、地点によっても雨に変わるタイミングの差は出てくるでしょう。最新の予報をご確認いただきたいのはもちろん、実況経過にも十分にご注意ください。また、近畿より寒気の影響を受けやすい関東では大雪となる可能性が更に高いです。既に気象台は注意を呼び掛けていますが、こちらも十分にご注意ください。

須賀神社 懸想文売りさて、吉田神社で鬼やらいを見た後に向かったのは、聖護院地域の産土(うぶすな:土地を守護する神)である須賀神社。懸想文(けそうぶみ)売りで知られています。懸想文とは聞きなれない言葉かと思いますが、いわゆる恋文、ラブレターのことです。江戸時代になると、恋文に似せて縁起のよい言葉を書き連ねて、お正月に売るようになりました。この懸想文をタンスや鏡台の引出しに人に知られないように入れておくと、なんと!!顔かたちがよくなり、さらには着物が増えて良縁にあずかれるといわれています。ということで、昼間の境内はうら若き女性で賑わい、次々に売れて行きます。

須賀神社 懸想文懸想文売りは、一見怪しげな姿。これにはわけがあります。昔は相手の顔を見ることなく、まず恋文(懸想文)によって相手の良し悪しを判断していました。しかし当然、恋文にも得手不得手があり、庶民であれば文字も書けない。このように困っていた人のニーズから生まれたのが「代筆」の仕事。古文や和歌などの教養があってもお金が無い貧乏公家には、ぴったりのアルバイトだったのです。しかし貧乏公家にも家柄やプライドはある。ということで、烏帽子・水干で公家の装束をしながらも、顔を人に見せないように覆面姿をしています。なんだか涙ぐましいですね。

須賀神社の懸想文売り肩にかけているのは梅の枝。昔は梅の枝に文を付けて売り歩いていたからだとか。旧暦の正月は立春をはさんだ前後15日の間で幅があるので、新年立春の遅いころ(=正月が早いころ)だと花の咲いた枝を手に入れるのに苦労したのではないかと思いますが、梅の枝で新春の風情をかもしだすとは、なんともお公家さんらしい。今もその名残で、ちゃんと持っている枝には文が結びつけられています。須賀神社の懸想文売りは、夜20時頃まで頑張っています。さすがに夜の境内は人が少なく、独特な雰囲気がありました。今年の節分は暖かかったですが、寒い年は大変でしょう。お疲れ様でした。

聖護院聖護院でも夜の19時半まで境内に入ることができ、仏像に手を合わせることができます。聖護院は、本山修験宗の総本山です。平安時代の末期、白河上皇の時代に、修験僧として名を馳せていた増誉(ぞうよ)大僧正が、上皇の熊野詣に際して先達を務め、その功績によって「聖体護持」から2字を取って寺を賜ったのが始まりになります。修験道は日本古来からの山岳信仰と仏教が結びついたもので、日本独自の信仰形態です。厳しい山々で修行し、困苦を忍び、心身を修練して、やがては悟りを開き即身即仏を目指します。

聖護院ということで、祀られているのも荒々しい仏様。不動明王は宸殿に3躯(く:仏像の単位)あり、さらに三宝荒神と孔雀明王、役行者(えんのぎょうじゃ)に蔵王権現像もあります。それらの仏像を目の前で眺め、手を合わせることができるのですから貴重な機会。拝観料は2日・3日は不要です。宸殿向かって左(東)の本堂には、平安期の不動明王および二童子像があります。非常に像容も美しく、夜に向き合うと昼間以上にありがたみを感じますね。人も少なく、知る人ぞ知る時間帯の拝観です。また、節分の日は、宸殿前で蝋燭を求めると、祈祷もして頂けます。

釘抜地蔵一方、西陣にある釘抜地蔵(石像寺)も2日・3日と石造りの本尊が公開され、夜まで厄除ダルマが授与(700円)されて、体の悪いところをダルマに移して供養をしてもらうことができます。私は3日の20時半過ぎに訪れましたが、境内はまだまだ賑わっていました。地元の信仰が大変篤いお寺さんです。釘抜地蔵という一風変わった名前にはこんな由来があります。江戸時代、ある商人が原因不明の両手の痛みに悩まされていました。そこで苦しみを抜いて下さるというこちらのお地蔵さんに祈願をしたところ、7日目の夜、夢の中にお地蔵様が現れて手に刺さっていた恨みの釘を抜いていってくれたのです。実はこの釘は、前世で藁人形を打ったために刺さってしまったものでした。目覚めた商人は両手の痛みが治まっていたので、急いで石像寺に行きました。すると、地蔵像の前には夢の中で抜いてくれた血のついた2本の釘があり、感謝の思いで100日間のお礼まいりを行ったということです。

釘抜地蔵こうした由緒から、以来、釘抜地蔵と呼ばれるようになりました。本尊は弘法大師・空海が唐の国から持ち帰った石に自ら彫ったお地蔵様で、諸々の苦しみを抜き取ってくださるお地蔵様ということから、苦抜(くぬき)地蔵と呼ばれるようになり、その後「くぬき」がなまって「くぎぬき」となったとも言われます。このご本尊の石地蔵が公開されるのは、一年の内でも節分の2月2日・3日と地蔵盆の8月24日の計3日のみだそうで、やはり夜に手を合わさせて頂くのは昼とは違うありがたみを感じました。節分の際に近くまで行かれましたら、是非訪れてみて下さい。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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