東福寺 芬陀院 丸窓の奥の雪

東福寺 芬陀院 丸窓
14日のの日、東福寺の塔頭・芬陀院(ふんだいん)を訪れてきました。

東福寺 芬陀院芬陀院は別名・雪舟寺とも呼ばれ、室町時代に活躍した水墨画家・雪舟が作ったお庭が伝わるお寺です。方丈南のお庭が雪舟作の「鶴亀の庭」。枯山水の庭園で京都でも最古期の枯山水庭園の一つとされます。雪舟は東福寺に参る際は芬陀院で寝泊りをしていて、その縁から庭を作ったと伝わります。お庭で目を引くのが円形の石囲いの中央に突き出た石がある意匠。こちらは亀島で、その向かって左側には折り鶴をイメージしたという鶴島もあります。雪の日はまさに雪舟が描いた水墨画さながらの光景が広がっていました。

東福寺 芬陀院 鶴亀の庭この亀島の中央の石は当初はありませんでした。庭ができた日の夜、庭先で異様な音がするので和尚さんが障子の隙間から庭を覗くと、なんと亀の石組が手足を動かして這っていたのです。慌てた和尚さんは雪舟を呼んでなんとかしてほしいとお願いをしたところ、雪舟は亀の甲羅に大きな石を載せました。するとそれ以後、亀は動かなくなったと伝わっています。

東福寺 芬陀院 鶴亀の庭芬陀院の庭は二度の火災と年月によって荒廃していましたが、東福寺の方丈庭園も作庭した重森三玲の手により、昭和14年に復元されました。この時に南庭と同じく鶴亀を題材とし蓬莱の蓮山を表した「東庭」が設けられています。その東庭を丸窓越しに望むのが茶室の「恵観堂」。芬陀院は五摂家の一つ、一条家の菩提寺として創建をされており、江戸時代に活躍をした一条昭良(恵観)好みの茶室・図南亭(となんてい)を復元したのが恵観堂です。

東福寺 芬陀院 丸窓一条昭良は、後陽成天皇の第9皇子で、政治の面では関白も務めた一方、茶の湯を愛し「茶関白」とも呼ばれました。東福寺に参詣した折には図南亭で茶を楽しんだと伝わります。残念ながら当時の図南亭は火災によって焼失し、昭和44年の一条昭良300回忌にあわせて「恵観堂」として復元されました。にじり口はなく貴人口であるところが特徴で、丸窓からの風景が見事です。

東福寺 芬陀院 丸窓私はカメラ構図の心得が無く、自分の思うに任せて撮っているのみなので、丸窓はどう後ろの風景を写すかを毎回悩みますが、冒頭の写真がこの日一番「いいな」と思った構図です。後から家に帰ってパンフレットを見たら、同じような角度でドーンと写真が載っていて、やっぱり心地よい構図はあるものなのだと思いました。立つ角度によっては丸窓の奥に建物を入れることもでき、雪が降っている様子が綺麗で、こちらも「いいな」と思って写真を撮ってみました。

東福寺 芬陀院 屑家形石灯篭茶室脇の露地には、勾玉の手水鉢と屑家形石灯篭が置かれています。屑家(くずや)は葛家や崩家とも書き、崩れかかったあばら家が意匠化された灯籠です。文字で見るとピンときませんが、実際に見てみるとそのものズバリ、勾玉の形や、家の形をしています。この日は雪によって勾玉の手水鉢は埋もれてしまっていましたが、屑家形石灯篭は「屋根」に綺麗に雪が積もっていました。

東福寺 芬陀院私が訪れた時間帯の鶴亀のお庭は、雪が積もりすぎていて半ば「雪原」と化していました。1時間に2-3cm程度の強度はあったと思いますので、枯山水のお庭は早く訪れないと難しかったようです。芬陀院では庭を望む障子が少し開けられていて、まるで掛け軸のように風景が切り取られていました。お寺の方の心遣いですね。また、座布団もありゆっくりと座ってお庭を眺めることができます。6月初めには、丸窓には皐月の刈り込みも入って綺麗ですし、機会がありましたら訪れてみて下さい。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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