鳥羽離宮跡に残された陵墓参考地

後宮塚 陵墓参考地
京都の南、城南宮の周りに3か所の陵墓参考地があります。辺りは平安時代の末期に鳥羽離宮か築かれ、白河天皇陵をはじめ被葬者が確実な天皇陵も残るエリア。しかし、その周りの陵墓参考地には衝撃的な現実があります。

白河天皇陵近鉄の竹田駅の西から城南宮にかけては、平安時代末期に歴史に名を残した、白河天皇、鳥羽天皇、近衛天皇の陵墓があります。いずれも被葬者が間違いないとされる数少ない陵墓。特に白河天皇陵は交通量の多い道路に面しており、「治天の君」として君臨していたあの白河天皇の確実な陵墓が、現代の喧騒に包まれた場所にあることは歴史の面白いところかもしれません。

近衛天皇陵 安楽寿院南陵この辺りは、平安時代に院政の拠点ともなった上皇の御所「鳥羽離宮」が築かれた地で、鴨川と桂川の合流点でもあり、大阪へと繋がる水辺には広大な離宮が広がっていました。離宮へは平安京の朱雀大路から真っすぐ南に鳥羽作道(とばのつくりみち)と呼ばれる道が通じ、辺りはさながら京都の港としての機能も持っていました。そして離宮を造営し始めた白河上皇をはじめ、その墓所や墓を守る寺も造営されて栄華を誇っていたのです。しかし、時代とともに建物は荒れ、南北朝期に焼失すると、その姿は僅かな土塁や陵墓を除いて失われていきました。現在は、特に近衛天皇陵が多宝塔が美しい天皇陵として目を引いています。以前にブログでもご紹介しました。

後宮塚 陵墓参考地さて、今回ご紹介する「陵墓参考地」とは、被葬者が特定できず祭祀の対象にもなっていないものの、宮内庁によって陵墓の可能性があると考えられている場所をさします。陵墓参考地では、被葬者が特定はされていませんが想定はされていることが多く、開発によって破壊されることを防ぐために国が土地を買い上げて、陵墓に準じて管理を行っています。

浄菩提院塚 陵墓参考地かつての鳥羽離宮周辺に残る3か所の陵墓参考地のうち、もっとも目につきやすいのが「浄菩提院塚 陵墓参考地(伏見区竹田小屋ノ内町)」です。白河天皇陵から城南宮へと向かう道すがらにあり、前を通ったことのある方もおられるかもしれません。実は、竹田には「竹田四十八塚」と呼ばれる小さな塚が多数あり、これら3か所の陵墓参考地は、その中から陵墓の可能性が高いものとして選ばれました。現在、竹田四十八塚の多くが消滅し、石碑のみを残すところもある中、こうして保存されているのは貴重かもしれません。

浄菩提院塚 陵墓参考地実は浄菩提院塚陵墓参考地は、他の2か所と比べると面積は広く「きちんと」保存されている印象です。宮内庁によると、被葬者は後鳥羽天皇の皇女・昇子(しょうし)内親王が推定されています。昇子内親王は17歳という若さで亡くなり、歴史上はそれほど有名ではありません。浄菩提院塚陵墓参考地は、内親王の陵墓という決め手に欠けるため「陵墓参考地」のままで据え置かれています。余談ですが、昇子内親王の母は九条兼実の娘・九条任子(にんし)で、後鳥羽上皇の皇后となった人物。その最初の子であった昇子内親王が生まれた当時、内親王から見て祖父に当たる九条兼実は関白という政治の中枢にありましたが、生まれた翌年にクーデターが起こり失脚しています。

後宮塚 陵墓参考地ここからは「衝撃」の陵墓参考地です。まず「後宮塚陵墓参考地(伏見区竹田小屋ノ内町)」。こちらをご存じの方は歴史好き、訪れたことのある方は、もはやマニアの域かもしれません。宮内庁の被葬者想定は「不明」で、竹田四十八塚の一つです。実は、存在している場所が凄まじく、名神高速の京都南IC付近に立ち並ぶラブホテル街のど真ん中にあります。しかも面積が狭く、果たしてこんな場所に陵墓参考地があるのかと思わせるほど、近づいても存在感がありません。

後宮塚陵墓参考地の辺り先日、久しぶりに訪れてみて、やはりすごいなと感じました。以前は陵墓参考地の後ろに茂みがありましたが、今は建物が建っており、僅かな面積の土地に囲いがされて、陵墓参考地の看板が立っているのみとなっています。墳形は元は円丘だったそうですが、現在は平(たいら)で、もはや土地を囲っているだけと言われても仕方がないような見た目です。この辺りは、鳥羽離宮の一つ田中殿に付随した金剛心院と呼ばれる寺があった場所。まさかこのような姿になってしまうとは、歴史の無常を感じるばかりです。

中宮塚 陵墓参考地最後の陵墓参考地が「中宮塚陵墓参考地(伏見区竹田田中宮町)」。こちらは城南宮の東の鳥居から真っすぐ進み、大通りを超えて一筋目を南に下がった場所にあります。農地の一角にある印象ですが、実はこの陵墓参考地は元々この場所にあったのはなく「移葬」されているのです。すなわち、別の場所にあった陵墓参考地が、水路の幹線の流路に当たってしまったため、当時の市の要望によって丁寧に掘り起こされて現在地に移葬されました。実は過去にも陵墓参考地を移葬した事例があったことも後押しとなったようです。古墳などの陵墓では「発掘調査が許されない」ということがありますが、重要度の低い陵墓参考地ではこうした事例もあるのですね。

中宮塚 陵墓参考地個人的には、移葬をする際に出土物を調べて陵墓かそうでないを判定できたのでは、という疑問がわいてきます。一方で、あくまで皇室の陵墓という視点で見れば、発掘調査という名目は許されなかったのでしょう。しかし「開発による破壊を防ぐ」目的で保存されているはずの陵墓参考地が、公的とはいえ開発に伴って移葬されてしまうというのは皮肉な話です。中宮塚陵墓参考地も後宮塚陵墓参考地も、伝承されていたその名前から陵墓参考地に指定されています。中宮は天皇の后の呼び方の一つ、後宮は后が住む場所のことですので、確かに皇族が埋葬されていることをうかがわせます。個性的な二つの陵墓参考地。その実情には、いろいろと考えさせられます。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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