真如堂の境内北側に新長谷寺(しんはせでら)があり、十一面観音像が安置されています。
真如堂の境内には様々な伝説を持つお堂が集まっていて、ゆっくりと散策していただくのもおすすめです。新長谷寺もその一つ。境内の北にある小堂で、あえて足を運ばなければ行くことがない場所でしょう。堂内には金色の十一面観音像が安置され、人びとの信仰を集めてきました。創建の伝説はなかなかユニークです。平安時代、藤原高房という人物が西国へ赴いたとき、途中、一人の漁師が大きな亀を殺そうとしているところに出会ったため、高房は着物と交換をして亀を助けてやりました。
そして翌朝、瀬戸内海を船で進んでいたところ海が荒れて、乳母が手を滑らせて高房の幼子を海に落としてしまったのです。誰も助けられない大波の中、なんと昨日救った亀が子どもを背に乗せて船に近づいてきて、その子は無事に助かることができました。高房は、これも日頃信仰している長谷観音様のおかげであると、さらに信心を深めました。
時を経て、亀の背で助けられた子は藤原山蔭(やまかげ)と名乗り、妻と一人の子とともに幸せな家庭を築いていました。しかし妻が病死してしまったため、後妻を迎えることとなります。その後妻は自分と山蔭との間に新たな子が生まれると、先妻の子を疎ましく思うようになりました。そして一族が太宰府へと赴いた船旅の途中で、あろうことか先妻の子を船の上から海に突き落としてしまいました。悲嘆にくれた山蔭が、船の上からその子を探していると・・・、なんと以前に自分を助けてくれた大亀が、その子をも背中に乗せて救ってくれたのです。こうして子どもは助かりましたが、山蔭は「このまま家に戻しても、不幸になるだけ」として、子を高僧にたくして僧侶にしてもらったということです。
山蔭は、二度までも危機を救ってくれた大亀は観音様のご加護に違いないと感謝し、長谷寺の十一面観音を写した像を作り、春日仏師による8尺(約240cm)の大像を御前立として、吉田山の神楽岡のふもとに新長谷寺を建立しました。その後、時を経て明治の廃仏毀釈の折りに真如堂の境内に寺は移され、現在に至っています。藤原山蔭は、吉田神社を創建した人物として知られ、四条流庖丁式を創始した料理人の祖としても崇められていて、京都検定でも名前を覚えたという方は多いでしょう。子どものころに亀の背で助けられたとは、興味深い伝説ですね。なお、新長谷寺は洛陽三十三所観音巡礼の5番札所としても古くから信仰を集めています。真如堂に行かれた際には、訪れてみてください。
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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)
気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。