雪に包まれた千本釈迦堂

千本釈迦堂 おかめ像
18日の京都の雪。洛中最古の建物が残る千本釈迦堂にも訪れました。

千本釈迦堂千本釈迦堂は今出川通にある上七軒の交差点を北へまっすぐ上がった先にあるお寺で、正式には大報恩寺(だいほうおんじ)といいます。12月7日・8日には「大根焚き」も行われて賑わいました。寺は鎌倉時代に創建をされ、1227年に建てられた洛中最古の本堂があることで知られています。応仁の乱の勃発が1467年ですので、その240年も前に建てられたお堂が、応仁の乱の戦場の真っただ中にある西陣に残されているというのはまさに奇跡。数々の大火もくぐりぬけ、今も私たちの目の間にその姿があることの素晴らしさは、知れば知るほどすごいことですね。

千本釈迦堂そんな貴重な本堂に伝わるのが「おかめさん」の伝説。本堂を建てる際、大工の棟梁である長井飛騨守高次(ながいひだのかみたかつぐ)は、誤って重要な柱の寸法を間違えて短く切り過ぎてしまいました。高次の妻だった「おかめ」は、苦悩する夫の姿を見て「他の柱も短く切って、枡組(ますぐみ)で補ってはどうか」と助言しました。枡組とは、斗栱(ときょう)ともいい、千本釈迦堂にある「おかめ像」が手にしている建築構造物の一種です。柱の上に乗せるため、短く切ってしまっても大丈夫ということです。

千本釈迦堂こうして無事に棟上げの日を迎えることができたのですが、なんとその時には妻のおかめさんは自害をしたあとで、この世にはいませんでした。「妻の助言で棟梁が大仕事を成し得たと言われては夫の恥」だからというのがその理由。棟梁の高次は、本堂の上棟式にあたり、妻のおかめの冥福と末永く本堂が守られる事を願い、亡きおかめに因んだ面を扇御幣(おうぎごへい)に付けて飾ったと伝わっています。おかめさんの内助の功のおかげで、「洛中最古の建物」として現代にまで建物が無事に残ってきたのかもしれませんね。

千本釈迦堂雪の朝の千本釈迦堂はとても静かで、おかめさんの像も雪化粧をしながら優しくほほ笑んでいました。1227年以来、このお堂の雪景色は一体何度目か。そんなことを思いながら、歴史ある本堂を眺めさせていただきました。千本釈迦堂には貴重な仏像も数多く伝わっており、ぜひゆっくりと拝観をしていただきたい寺院です。

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