平安時代末期の地震記録

冬の空
今日のブログは、今朝出演させていただいたラジオで、お話できなかった地震の話を補足でご紹介します。なお、写真と本文は無関係です。

上賀茂神社今朝はKBS京都ラジオの「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演させていただきました。10時からご案内があったため、初めてスタジオ外での電話出演となり、普段の心強いお二人がいないなかで、かなり緊張しながらお話をさせていただきました。今回は「平安時代の京都の地震」ということでしたが、実は時間内でお話できなかった最後の地震について補足させていただきます。

鴨川平安時代の末期、元暦元(1185)年、平家が滅亡した壇ノ浦の戦いの約4ヶ月後に京都を大地震が襲い(文治地震・元暦の大地震)、平家が寄進をした大寺院はことごとく倒壊、人々は世の無常を嘆きました。地震直後は普段でも驚くような揺れが1日に20~30回、10日ほど過ぎてようやく減りだしましたが、収まるまで約3カ月ほどかかりました。実はこの地震の様子は、鴨長明の「方丈記」に詳しく書かれていますので、以下引用してみます。

日暈「山はくづれて、河を埋(うづ)み、海は傾(かた)ぶきて、陸地(くがち)をひたせり。土裂(さ)けて、水涌き出(い)で、巌(いわお)割れて、谷にまろび(ころげ)入る。 (中略) 塵灰(ちりはい)立ちのぼりて、盛りなる煙のごとし。地の動き、家のやぶるる音、雷(いかづち)にことならず。家の内にをれば、たちまちにひしげなんとす(押しつぶされそうになる)。走り出(い)づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らん。恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ覚え侍(はべ)りしか。」

同志社大学いかがでしょうか。800年以上も前の地震の様子が、ありありと目に浮かんでくるのではないでしょうか。方丈記には他にもいくつかの災害の記録が残されており、しかもすぐに読めるほどの文量です。読書の速い方ならば1時間もかからないでしょう。現代語訳も書かれた本が図書館に必ずありますので、ご一読いただければと思います。

寛文2(1662)年の大地震 倒壊する八坂神社の石鳥居また、2月17日(火)13時~15時半で「【チャリティー】京都 過去の災害史を知ろう(鴨川・八坂界隈)」の散策を開催いたします。参加費1000円は、全額災害義援金として寄付いたします。コースは、過去にも何度か開催したものとおおむね同様で、京都の水害・大火・台風・地震について、それぞれお話をして行きます。集合は地下鉄「京都市役所前」駅の改札前。お申し込みはこちらから。お気軽にご参加ください。

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