天空にそびえる姫路城と千姫天満宮

姫路城
先日、姫路城を訪れてきました。今回は番外編として現況をご紹介します。

姫路城4月前半の曇雨天を取り戻すかのように晴天が続く流れとなっています。来週初めにかけて概ね晴れて、連日散策日和が続きます。私も遠出をして姫路城を見に行きました。約5年に渡る修復が終わり、白くなった姿が話題を集めています。白く見える理由は漆喰(しっくい)で、白を火災や風雪から守り、景観的にも美しいというもの。漆喰は、消石灰や貝灰、海藻を混ぜるなど古来からの伝統技法で、城内で作られて塗り重ねられて行ったそう。城を見る角度によっても白く見える度合いが違っています。

姫路城今回の修理ではその余りの白さに「白すぎ」との声も聞かれますが、漆喰には次第にカビが生えるなどして黒ずんで来るため、これが創建当初の本来の姿なのだそう。先に修復を終えた小天守は約1年半で黒ずんでしまったため、大天守は修復時にかけていた覆いを外す間にも黒ずむのを防ぐため、防カビ剤が塗られているのだそう。それでも3年ほどで黒ずんで来るといわれており、まさに「白鷺」のようなこの白さを見るには、出来るだけ早く訪れるのがよさそうです。

姫路城気になるのが人出。話題となっている場所ですので連日数多くの人が訪れ、さらに修学旅行シーズンも本格化するとあって当分の間は混雑が続きそう。私が訪れた平日でも入城時には天守閣へ登るための整理券が手渡されました。ただ、実際には整理券を使うことなく天守閣内へと入ることはできました。しかし、2階までは順調でしたがそこで上の階への長蛇の列が伸びており、私は時間の都合で上るのを断念しました。

男山からの姫路城姫路城はかなり広く、かつ防御のために簡単には天守に行くことができないような経路となっているため、天守への往復は相当な時間を要します。西の丸を省略して天守へ直行する場合でも最低1時間、混雑しているリスクを考えればできれば2時間は見ておきたいところです。歩く距離も見た目以上に長く、かつ坂道や階段も多いため、足の悪い方は十分な覚悟が必要です。ご注意ください。

千姫天満宮今回は、千姫によって天満宮の祀られた男山へも登ってきました。道のりはかなり急ですが、通常とは違う角度からお城の様子を眺めることができます。千姫は徳川家康の孫娘で、7歳で大阪城の豊臣秀頼のもとへと輿入れします。夫婦仲は良好だったそうですが、大阪の陣で夫の秀頼は自害。千姫は助け出されました。このとき江戸城へ帰る道中で警護にあたっていた本田忠政の息子・忠刻(ただとき)と、のちに再婚することになります。二人の結婚は千姫が美男の忠刻を見初めたためとも言われています。忠刻と結婚し、本田家の居城となっていた姫路城へとやってきた千姫。忠刻との間には2人の子どもを授かり、姫路城での10年の生活が千姫の生涯で最も幸せだったと語られています。

姫路城の西の丸から見る男山しかし子の幸千代は3歳の時に病で亡くなってしまい、その後も流産などで子宝には恵まれませんでした。その原因として占われたのが最初の夫である秀頼のたたり。そして千姫がすがるように建立したのが男山の天満宮でした。千姫は天神への厚い信仰心をもち、城内の守護神として祀られていた天神像を男山の天神社へ移すと、朝夕、男山を望める城の西の丸にやって来ては、天満宮を一心に拝んだと伝わります。千姫の苦しい心の内が偲ばれるエピソードです。

千姫天満宮ただその願いは通じず、夫の忠刻が亡くなり江戸へと戻った千姫は、髪をおろして天樹院と号し、夫や息子を想って余生を過ごしました。墓は京都の知恩院にあります。現在も千姫天満宮として神社は伝わり、美男子だったという忠刻との縁を成就させたところから縁結びの信仰を集めているそう。お時間のある方は、こちらにも訪れてみてください。

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