見ごろを迎えた乙訓寺の牡丹

乙訓寺の牡丹
乙訓寺(おとくにでら)の牡丹が見頃に入ってきたそうです。大輪の花は春の盛りを教えてくれます。

乙訓寺の牡丹乙訓寺(おとくにでら)の牡丹は2000株と、京都では有数の本数を誇りますが、乙訓寺が牡丹の寺となったのは、昭和9年の室戸台風をきっかけとしています。京都の過去130年以上の観測史の中で最も強い風を吹かせた、昭和9年の室戸台風。かつての乙訓寺は、松並木が美しい寺として知られていましたが、室戸台風の暴風によって松はほとんどが倒れてしまいました。その無残な境内を目にして心を痛めたのが、乙訓寺の本山である奈良の長谷寺の当時の住職。

乙訓寺の牡丹この時、長谷寺から2株の牡丹の花が乙訓寺に贈られました。その後、歴代住職らの尽力によって株数が増え、今や2000株の花が境内を彩って、京都で牡丹といえば乙訓寺の名前が第一に挙がるほどにまでなりました。乙訓寺の牡丹の花は、いわば「災害復興のシンボル」ともいえるのです。境内の牡丹の花は、今年も「花の王」にふさわしい、気品あふれる姿を見せてくれました。花には日除けと雨除けで白い番傘がさされていて、新緑ともよく似合っています。牡丹の花は桜のように一斉に咲くのではなく、椿のように順々に咲いていきます。乙訓寺では痛んだ牡丹の花を丁寧に取り去っていて、常に美しい株が見られる配慮がなされています。

乙訓寺 クロガネモチ牡丹の時期の境内では目立ちませんが、立派に生える「モチノキ(クロガネモチ)」も室戸台風を生き延びた樹木です。室戸台風では幹が折れ、平成に入ると枯れ枝が目立って、そこから雨水が入り、内部の腐食が進んで空洞化。衰えが進んでいましたが、対策をこうじることで樹勢が回復してきました。現在は、京都府でも屈指の大きさを持つ名木として、地元の方に親しまれています。

乙訓寺の牡丹乙訓寺は歴史や仏像の面でも面白く、実は乙訓寺は今は多くが消えてしまった古代寺院が現代に存続しているお寺です。空海と最澄の出会い、桓武天皇の弟にして悲劇の皇族・早良親王の供養塔、合体大師という特異な本尊に秘められた物語など話のタネは多く、緑の時期や秋の紅葉は隠れ名所だと思います。牡丹はゴールデンウィークにかけて見頃が続きます。今年は「ことぶら」さんで散策も開催しますので、お気軽にご参加ください。

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