高松神明神社にある幸村の知恵の地蔵尊

高松神明神社 幸村の知恵の地蔵尊
2016年の大河ドラマは真田丸。京都にも数は少ないものの、真田信繁(幸村)ゆかりの地があります。高松神明神社には、幸村の知恵の地蔵尊が伝わっています。

高松神明神社高松神明神社は、姉小路通新町西入るにあり、平安時代に源高明(みなもとのたかあきら)の邸宅・高松殿の創建時に、その鎮守として伊勢から天照大神を勧請して創建された社です。現在も平安時代から大よそ変わらぬ場所にあります。後白河天皇はこの高松殿で即位し、保元の乱では天皇方の拠点となり、平治の乱で焼失しました。永禄8(1565)年に高松神明宮宝性院として社僧が守る神仏習合の寺院となりましたが、幕末の禁門の変による元治の大火によっても焼失し、明治の廃仏毀釈で宝性寺は廃寺となって現在に伝わっています。

高松神明神社 幸村の知恵の地蔵尊さて、境内には「神明地蔵」というお地蔵さんがお祀りされています。この地蔵尊は真田信繁(幸村)が、関ヶ原の戦いの後、父の昌幸と隠棲した紀州九度山の屋敷跡に創建された善名称院(真田庵)から移されたもの。時は寛政6(1794)年のこととされます。善名称院(真田庵)の創建は1741年で、奇しくも本尊は地蔵菩薩です。宝性寺も善名称院も同じ真言宗で、そのご縁で拝領したといわれています。社伝では地蔵尊は幸村が拝んだ念持仏と伝わり、智将と呼ばれた信繁(幸村)にちなみ「幸村の知恵の地蔵尊」として信仰を集めていきました。

高松神明神社天保10(1840)年には、地蔵堂も切妻破風屋根の立派なお堂になりましたが、残念ながら元治の大火によって焼失。地蔵尊は奇跡的に大火をくぐり抜け、明治26(1893)年に地蔵堂が再建されて現在に至っています。いまは地蔵堂の台石をさすり子達の頭をなでると知恵を授かると信仰されており、台石は長年さすられてきたからか照り輝いていて、厚い信仰を感じられます。地蔵尊は37㎝の半跏像。子どもを守るというお地蔵さんが、信繁(幸村)にちなみ知恵も授けてくださるとは何ともほほえましい。境内に訪れる際には、こちらにもぜひご参拝ください。神社では、真田家の六文銭と結び雁金の紋が描かれた絵馬も授与されています。なお、今回の内容は境内の案内板を参考としました。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2016」監修。特技はお箏の演奏。

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