今年は、稲荷祭の神幸祭をすでにブログでご紹介しましたが、今回は還幸祭です。還幸祭も神幸祭と同じくトラックに神輿が乗せられて氏子地域を巡行し、伏見稲荷大社へと帰って行きます。トラックを中心とする車列は総勢30台以上もあり、神幸祭以上に立派な行列が巡行していきます。もしこれがトラックではなく、歩きでの行列だと想像すれば、往時はさぞ立派であったことが偲ばれ、かつて京都三大祭の一つに数えられた稲荷祭の面影を見る気持ちがします。
トラックに乗った神輿は御旅所を出発して、九条通から大宮通に入り、東寺の慶賀門の前にトラックのまま停まると、東寺の僧侶から御供(読経)を受けます。読経の前には神職からお祓いも受け、神仏習合の儀式として知られています。東寺は稲荷とつながりが深く、弘法大師・空海が東寺の門前で稲をかついた老人と出会い、それが稲荷の神であることを知って東寺の鎮守に迎えたという伝説も伝わります。
五重塔の創建時には稲荷山から大木を切って使用し、その祟りとして天皇が病気になるという事件が起こりました。この時には稲荷社に謝罪の意味で従五位下の位が与えられ、天皇の病は快方に向かったとされています。東寺の読経も、古文献を読むと今とは違って、東寺境内に5基の神輿が並び、大勢のお坊さんにより1基づつ行われていたようです。今はまとめて行っていますので、比較的あっさり祭事が済んでしまいます。
東寺を出た一行は大宮通を北上して五条通を東へ進み、烏丸通を北上して、松原通へと入って行きます。今では車が通るには細い松原通を、大型トラックが列をなして通っていく様は壮観。松原通はかつての五条通で、南が稲荷の氏子圏、北は八坂神社の氏子圏と、両者の境目に当たります。祇園祭の山鉾巡行も以前は松原通を通っていました。稲荷祭はトラックに変わりましたが、松原通を通るところは変わりない部分です。
松原通の柳馬場西入ルには、2012年に復活した天狗榊が立ち、神輿を迎えていました。天狗榊は神輿を迎えるお迎え提灯の役割を持つ山車(だし)で、明治までに途絶えてしまいましたが、有隣学区の神事委員会によって氏子らの手作りで復活しました。区内の巡行も行われています。かつては盛大に催された稲荷祭。祭りの規模が縮小したという話ばかりを書いてきましたが、実はこうして往年の賑わいを取り戻そうとする動きもあります。
松原通は通りが狭い分、トラックとはいえども神輿や参列者などを近くで感じられてお勧めです。やはり五条通や烏丸通で見るよりも断然「昔」に近い感じがします。南側では、地域の人々が大勢で集まっていたり、正装で待っておられたりと、丁重に一行を迎えている印象でした。トラックに乗った参列者と手を振り合っているのも印象的でした。このように松原通の南側は稲荷の氏子ですが、北側は本当は八坂神社の氏子です。ただ、北側の人も同じように稲荷の神輿に手を合わせていきます。神様が通るのですから、やはり無視をするというのできませんね。
神幸祭と還幸祭では、車列の内容も少し違っていますが、還幸祭には、神馬のレプリカが乗ったトラックや、相槌稲荷が乗ったトラックなどもありました。やはり総勢30台以上も連なるというのは壮観です!トラックといえども盛大な稲荷祭の還幸祭。松原通の行列の様子は動画もありますので、よければご覧になってみて下さい。
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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)
気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2016」監修。特技はお箏の演奏。