東福寺の本坊庭園(八相の庭)

東福寺本坊庭園
今回は、東福寺の本坊庭園の風景です。

東福寺本坊庭園東福寺の方丈の周りにある本坊庭園は「昭和の小堀遠州」とも呼ばれる重森三玲の作庭で、方丈の東西南北にそれぞれ趣の異なるお庭が昭和14(1939)年に築かれています。いずれも鎌倉時代の作庭手法を元にした枯山水庭園。仏教の言葉である「八相成道(はっそうじょうどう)」にちなんで「八相の庭」とも呼ばれています。なお、この方丈周りの庭園は2014年に国の名勝に指定されたのをきっかけに「東福寺本坊庭園」が正式名称となりました。

東福寺本坊庭園「八相成道」は「釈迦八相」ともいわれ、釈迦が生まれてから亡くなる(涅槃)までの間に経た八段階を表しています。普通の人間は四段階しか経ませんが、釈迦は「出家(道を求める)」「降魔(ごうま:煩悩に勝つ)」「成道(じょうどう:悟りを得る)」「転法輪(てんぽうりん:教えを説く)」という、さらなる四段階が加わっています。

東福寺本坊庭園東福寺の方丈庭園は四方にあるという意味で珍しく、いずれも個性的で目を楽しませてくれます。南庭は蓬莱神仙思想を取り入れたお庭で、白砂が描く荒海の中に巨石が島を作り出しています。6mほどの長い石が寝かされているところが斬新で、古くからのお庭にはない意匠です。庭の西側には5つの小山があって仙人が住む神仙境を表し、かつ京都五山にもちなんでいます。庭の奥には堂々たる東福寺の伽藍が望め、庭に奥行きを感じる造りとなっています。

東福寺本坊庭園方丈の西庭は、大きな市松模様が特徴的で「井田(せいでん)の庭」と呼ばれています。皐月の刈り込みと葛石で表現された市松模様は、日本伝統の模様です。実は、東福寺の開山堂がある普門院前の庭園に市松模様があり、重森三玲はこれに影響を受けたのではとも考えられています。

東福寺本坊庭園北庭に向かう前に、方丈の北西側からは通天橋を望むこともできます。橋を望むこの場所は「通天台」と呼ばれていて、通天橋から望むのとはまた違った渓谷(洗玉澗:せんぎょくかん)の木々の眺めを楽しめます。ここからだと、通天橋は長い廊下のようにも見え、こちらも南の臥雲橋から望むのとはまた違っていて不思議です。

東福寺本坊庭園北庭は市松模様がより細かく、苔と切り石が見事に調和した庭園。八相の庭の中でも代表的な意匠の一つでしょう。西庭の大きな市松模様が、小さくなって受け継がれ、それがさらに北庭の北東へと続くに従って密度が減り、やがてほとんど苔の庭となっていきます。実は作庭当時は苔の範囲は狭く白川砂があったそうですが、現在はすぐ北の渓谷からの湿気で苔が繁殖し、この景観となっています。

東福寺本坊庭園東庭は、南庭の東にあり、北斗七星の形した石が目を引く一角です。本来であれば、入口の庫裏から入って最初に見えるお庭ですが、多くの方が南庭の方に先に目をやるため、ここでも最後の紹介としています。北斗七星の形に並べれている石は、東司(とうす:お手洗い)で使用されていた礎石で、東司の解体修理をした際に、余材として出てきたものを再利用しています。日本庭園に星座の意匠を用いることは、当時他に類を見ず、斬新な発想の極みとも言えます。四方向のいずれも印象の異なる、個性的な美を持つお庭。ぜひ、足を延ばしてみてください。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2016」監修。特技はお箏の演奏。

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