男山山中の神応寺

神応寺
八幡市の男山の山中に神応寺があり、11月7日まで特別公開されていました。

神応寺京阪の八幡市駅から男山の崖の上に見えるお堂が神応寺(じんのうじ)です。見えてはいても、どうやって行けばよいのか分かりにくいお寺で、石清水八幡宮の一の鳥居の前から、鳥居をくぐらずに右手に曲がるのが分かりやすい道順だと思います。地図をよく見ながら門前まで訪れてください。寺は高台にあるため、階段を上るのが大変。普段は非公開ですが、寺を経て山道の「こもれびルート」を歩くと、石清水八幡宮とは峰が違う男山最高峰の鳩ヶ峰を経て、大回りで石清水八幡宮へと行くことも可能です。また、深い谷をまたぐ男山ケーブルを上から見下ろせる隠れスポットもあります。

神応寺さて、神応寺は、貞観2(860)年に、石清水八幡宮を勧請した行教(ぎょうきょう)律師によって応神天皇の霊を祀るために創建されました。すなわち、石清水八幡宮の創建とほぼ同時に創建されたということになります。時代は下がって、豊臣秀吉が朝鮮出兵に際し、三韓征伐を行った神功皇后と武神とされる応神天皇にあやかろうと石清水八幡宮に参拝をした際に、神応寺に宿泊をし石高を加増しています。こうした縁から、本堂には豊臣秀吉の像も祀られています。

神応寺からの眺め江戸時代には、家康が石清水八幡宮を信仰したことなどもあり、徳川家からの帰依を受け、5代将軍・綱吉から衣装を拝領しそれを仕立て直した略式の袈裟も残されています。また、本堂の天井は伏見城から移された血天井でもあるなど、豊臣家・徳川家それぞれのゆかりを伝える寺として現在に至っています。

神応寺からの眺め寺に伝わる行教律師像は、もとは石清水八幡宮の開山堂に安置されていましたが、明治の廃仏毀釈の折りに行教が開いた神応寺に移されました。その際に、頭部に烏帽子を打ち付けて僧侶の像ではないとして難を逃れたともされますが、実際には頭部に釘の跡などは見つかっていないそうです。行教律師の像は表情が厳しくも見えますが、人間味を感じる像でした。その他、書院からの見事な眺望や、狩野山雪の水墨画なども伝わり、見どころの多いお寺です。普段は非公開ですが、今後も特別公開されることがあると思いますので、機会がありましたら足を延ばしてみてください。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2016」監修。特技はお箏の演奏。

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