京都と火災 歴史が語る「乾燥と強風」の恐ろしさ

燃え上がる炎
先日、新潟県の糸魚川市で起きた大きな火災。連日の乾燥と強風が延焼が広がった要因となりました。京都も木造家屋や狭い道が多く、平安京創建以来、数々の大火に見舞われてきました。今回と次回とで、京都の火災について書いてみたいと思います。

豊国神社の愛宕社の前にある鳶の像京都は、歴史的な都市として平安時代以来の数多くの火災の記録が残されています。その数は枚挙にいとまがありませんが、例えば、鴨長明の方丈記に記された、平安時代末期の「安元の大火」があります。安元3(1177)年、「風激しく吹きて、静かならざりし夜」に発生した火事は、強い風によって都の南東から西北に向かって燃え広がり、当時の都の3分の1を灰塵に帰したという大火となりました。注目すべきは「風に堪へず、吹き切られたる炎、飛ぶがごとくして、一、二町を越えつつ移りゆく。」との記述です。まさに今回の糸魚川での火災でも注目をされた「飛び火」と呼ばれる現象です。1町が約120mですから、2町で240mほどの距離を火が飛び越えながら焼けて行ったことになります。余談ですが、源平盛衰記では、火元が樋口富小路(ひのくちとみのこうじ)であったことから、樋口は火口(ひのくち)、富は鳶で天狗の乗物であるとして、この火事は愛宕の天狗の仕業で、火元から西北(乾)の愛宕山に向かって斜めに焼けてゆくのだという、盲目の陰陽師の話を載せています。

元治の大火の延焼範囲江戸時代の京都で三大大火と呼ばれる、1708年の宝永の大火、1788年の天明の大火、1864年の元治の大火は、いずれも強風によって被害が大きくなりました。1730年の西陣焼けも同様です。延焼範囲の図を見るとよく分かりますが、いずれも火元から風下に向かって炎が及び、たいへんな被害をもたらしました。江戸時代になると、庶民の日記も残るようになり、火災当日までの天候が推察されています。上記江戸時代の4つの大火のいずれにおいても、火災当日までに晴れが続いて空気が乾燥しており、そして強風下で火災が発生し、大火事になってしまったと考えられています。詳細は、立命館大学・京都歴史災害研究の、水越允治氏の論文「京都における歴史災害とその気象・気候的背景」に詳しいので、興味のある方はぜひご一読ください。

大火の要因を伝える「狂風」の文字中でも、1788年の天明の大火をもたらした風は、当時「狂風」と呼ばれたほど、最悪の結果をもたらしました。この「狂風」という言葉は、清浄華院(しょうじょうけいん)に残されている天明の大火供養塔に付随する石碑に刻まれています。宮川町での出火の後、火は北東の風によって南の五条辺りまで燃え広がり、そして強い風によってついに鴨川を越えて寺町通の寺院へと飛び火。そこから南と西へとに分かれて延焼して行きました。しかし、次第に風向きは南東に変わったため、今度は北へと燃え広がり、御所や二条城が延焼するに至りました。夜になると、さらに風向きが西寄りに変わって強く吹きました。そのため西陣ではギリギリで焼け残った建物があった一方で、火は東へと流れ、再び鴨川を越えて東山を焼きました。このように、風が強かったために鴨川を越えて西へと燃え広がり、しかも風向きが変わることで京都の街を一周するように順番に焼いて行った最悪の火災だったのです。まさに強風ならぬ「狂風」。結果的に、当時の市街地の80%が焼けたといわれています。

浄福寺 天狗の絵馬天明の大火の折り、西陣の浄福寺は目前にまで火が迫りましたが、運よく焼け残りました。そこにはこんな伝説があります。炎がいよいよ寺に燃え移ろうかという時、ご神木のモチの木の上に、なんと鞍馬山から天狗が降りてきて大きな団扇であおぎ、火は浄福寺の赤門の前で止まったのだそう。まさにこの「天狗」の正体は、低気圧(ないし前線)の通過にともなう「風向の急変」であったのでしょう。「強風」が火災にとってどれだけ影響が大きいかを表す伝説でもあります。

方広寺 大仏殿跡一方、寛政10(1798年)に方広寺の大仏殿が落雷によって炎上した際には、風がなかったことが幸いし、隣の三十三間堂や養源院は焼け残りました。「京の京の 大仏つぁんは 天火で焼けてな 三十三間堂が 焼け残った ありゃドンドンドン こりゃドンドンドン」という童歌は、現在も京都の子どもたちに歌い継がれているそうです。現代の京都は一見、大火とは無縁のように感じますが、古い木造家屋や消防車が入れないような狭い路地も多く、昨年、先斗町で火災が発生したことも記憶に新しいところです。実は京都は防火意識の高い街で、京都府下の人口10万人当たりの出火件数の少なさは、47都道府県中で私の手元で調査できた範囲では、2002年~2013年にかけて全国2位をキープしています。これはたいへん素晴らしいことです。

京都市の火災件数の推移京都市でいえば、昔から火災が少なかったわけではありません。1950年代には、金閣寺や京都駅が燃えるなどの火事が相次ぎ、1955年には市内の年間火災数が756件にも上ったそうです。そんな状況を打開すべく、防火啓発や消防訓練を町内会レベルでも進めた結果、件数は次第に減っていきました。さらに、2000年頃は年間330件前後で推移していた火災発生件数を、2010年までに220件に減らすという目標を定めて取り組みをされた結果、2010年には目標を上回る170件にまで火災件数が減少しました。

京都 湿度の変化(年平均)ところが、その後2011年から2016年にかけては火災件数は増加し、250件前後で推移をしています。これでも全国的に見れば少ない数ですが、出火件数が強化期間中はに順調に減り、その後に上昇しているということは、普段からの心がけや啓発がいかに火災予防にとって大切かを物語っているかのようです。2017年は、1件でも少なくなることを願っております。なお、空気の乾燥という意味では都市化の影響もあり、近年の京都は昔と比べると乾燥しています。今も古い木造家屋や狭い道が残る京都の街。次回は、地震火災の恐ろしさについて書いていきます。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2017」監修。特技はお箏の演奏。

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