神泉苑は、二条城に南に残る平安時代の天皇の庭、禁苑だった場所です。現在も池が残り、赤い橋もかかって良い雰囲気の空間です。清らかな水(神泉)が絶えず湧き続ける場所であることから、平安時代から雨乞いの地ともなり、東寺の空海と西寺の守敏の雨乞い対決でも知られています。平安時代の日照りの際には水門が開かれて水が放流されたこともありました。
神泉苑は、後の祇園祭に繋がる御霊会(ごりょうえ)が催されたことでも知られます。御霊会とは、政治的な陰謀によって非業の死を遂げた人々の怨霊(おんりょう)を慰めることで、疫病を鎮めた祭です。奈良時代から平安時代にかけては、疫病や高貴な人たちの不幸は怨霊によってもたらされると信じられていました。祇園祭の前身となった御霊会では、当時の国の数66にちなんで66本の鉾をたてたとされ、現在も5月初めの神泉苑祭では、剣鉾が立つ様子を見ることができます(ただし、現在の形態の剣鉾は江戸時代以降に定まったものとされます)。
神泉苑祭は5月1日から4日にかけて行われ、3日18時半からは「静御前の舞」が奉納されました。平安時代末期に活躍した牛若丸こと源義経の妾として知られる静御前。義経が見初めたのは、神泉苑で行われた雨乞いの舞の時だったともされます(その後の「住吉での雨乞い」との話も)。彼女が舞うと黒雲が湧き立ち、たちまち雨が降ったそう。義経はやがて兄・頼朝に追われ、静も連れ立って逃げていきますが、険しく女人禁制の山であった吉野山を前に、二人は泣く泣く別れることになりました。その後、鎌倉の頼朝に召しだされた静御前。義経の居所は「存じません」と答えるばかり。静は舞の名手ということで、鶴岡八幡宮で舞を舞うようにいわれます。「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の あとぞ恋しき」。彼女は義経をしたいながら、美しく舞ったといわれます。「反逆人を恋い慕うとはけしからん!」と激怒する頼朝を妻の政子が制して事なきを得、静はその後、京に戻りますが、二度と義経と逢うことはできませんでした。
静御前の舞は、神泉苑にかかる赤い橋・法成橋の上で行われました。日が傾きはじめる中で舞う姿はとても優雅で、何度目にしても美しいと感じます。何より、神泉苑という場所で行われるのが素晴らしい。また、来年も見に来たいと思う舞です。
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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)
気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。8年ぶりに受験した第13回京都検定で再度1級に合格し「京都検定マイスター」となる。第14回京都検定1級(合格率2.2%)に最高得点で合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2018」監修。特技はお箏の演奏。