石清水八幡宮の特別公開と御花神饌

石清水八幡宮 御花神饌

石清水八幡宮の特別公開が10月11日まで行われており、御花神饌(おはなしんせん)が展示されています。

石清水八幡宮石清水八幡宮は京阪・八幡市駅から男山ケーブルで男山に上った先にあります。ふもとから参道を登っていくこともできますが、階段が急なので雨の日は上りも下りもケーブルがおすすめ。山上のケーブルの駅から社殿へはしばし緑の美しい中を歩け、雨の日でも風情は楽しめるでしょう。石清水八幡宮は、貞観元(859)年、大安寺の僧・行教が九州の宇佐八幡宮に清和天皇の即位を報告した際、八幡神から「吾(われ)、都近き石清水男山の峰に移座して国家を鎮護せん」とのお告げを受け創建されました。

石清水八幡宮 頓宮男山(142m)は、対岸の天王山との間に三川が合流する交通の要衝で、平安京から見て南西の裏鬼門にあたります。その重要な地を守護し、伊勢神宮に次ぐ国家第2の宗廟、国家鎮護の神として皇室から厚く信仰されました。八幡神は応神天皇・神功皇后・比咩大神(ひめおおかみ)の総称で、神功皇后はのちの応神天皇となる子を身ごもったまま朝鮮半島へと出陣したことで知られ、応神天皇自身も弓矢の神とされます。

石清水八幡宮 御花神饌やがて石清水八幡宮は、源氏の源頼信以来、源氏の氏神ともされ、その孫である源義家は石清水八幡宮で元服したことから八幡太郎と名乗るようになりました。さらに義家から4代目の源頼朝は鎌倉に幕府をひらいて鶴岡八幡宮を整備。室町時代の足利将軍からも崇敬され、6代目の足利義教は石清水八幡宮でのくじ引きによって選ばれました。江戸幕府を開く徳川家康からも厚く信仰され、家康が42歳の厄年に境内の豊蔵坊に奉納した自身の像は、現在等持院に移されて伝わっています。そして現在の社殿は3代目の徳川家光によって再建されたもの。2016年には国宝に指定されています。

石清水八幡宮 御花神饌さて、外観が美しい石清水八幡宮。ただ社殿が前後に並んだ八幡造の建築様式や「目抜きの猿」などの見事な彫刻の数々、織田信長が奉納した黄金の樋などは、外からはうかがい知ることができません。通常は11時と14時の2回、昇殿参拝のタイミングがあり、神職さんによりこうした社殿の内側を詳しくご案内いただけますが、現在は10月11日まで、非公開文化財特別公開の一環で本殿周辺が公開されており、主立った部分を目にすることができます。料金は1000円。

石清水八幡宮 御花神饌今回は13年振りに「神功皇后之御矢」が公開されており、鎌倉時代の元寇の折に制作されたという「篝火御影(かがりびのみえい)」も展示されています。また、9月15日の石清水祭の時に頓宮に供えられる「御花神饌(おはなしんせん)」も並べられていました。石清水祭は勅使が訪れる勅裁で、未明に暗闇の中で山の上の本社から麓の頓宮へと列が進むことでも知られますが、今年は新型コロナウイルスの影響で行列は中止となりました。

石清水八幡宮 御花神饌 過去のもの「御花神饌(おはなしんせん)」は、春夏秋冬の花や生き物をあしらった特殊神饌で、三柱の八幡神に供えられ3×4で12個あります。ひとつひとつがよくできていて感嘆しますが、制作されているのが「染司よしおか」のご当主です。男山から採取した各樹木の枝を使い、化学染料を一切使用しない古代染めの技法で染色した和紙を用いて、御花神饌が作られています。実は昨年10月に、5代目当主の吉岡幸雄氏が急逝され、今回は跡を継がれた娘さんで6代目の吉岡更紗(さらさ)氏によって作られたそう。神職の方曰く、作風が柔らかくなったとのことです。御花神饌は撮影もできますので、ぜひ細部までご覧下さい。公開は10月11日までです。

石清水八幡宮 御花神饌 過去のもの

石清水八幡宮 御花神饌 過去のもの

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ガイドのご紹介

吉村 晋弥(よしむら しんや)

京都検定1級に3年連続最高得点で合格(第14回~第16回、第14回合格率2.2%)、「京都検定マイスター」。気象予報士として10年以上。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2020」監修。特技はお箏の演奏。

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