紫式部と小野篁の墓所に色づくムラサキシキブ

堀川通北大路下る西側に紫式部と小野篁の墓所があり、この時期はムラサキシキブ (コムラサキ) の実が色づいています。

紫式部と小野篁の墓所

交通量の多い堀川通に面して残るのが、紫式部と小野篁(たかむら)の墓所です。小野篁はあの世とこの世を行き来したと伝わる人物で平安初期の人、紫式部は源氏物語を執筆したことで知られる平安中期の人です。両者には約200年の隔たりがあります。不思議な組み合わせですが、室町時代の源氏物語注釈書「河海抄」には、式部の墓は雲林院白毫院南の小野篁墓の西との記載があり、古くからの言い伝えであることがわかります。雲林院は墓の西側に現存していますが、白毫院は既になく、千本ゑんま堂にある紫式部供養塔は白毫院より移されたと伝わります。

小野篁墓所

現在地の墓の成り立ちは不明なところはあるものの、室町時代から紫式部と小野篁の墓が並んでいたと考えられているのは興味深いところです。これについては紫式部が創作の物語である源氏物語を書いたことが関係しているとの話があります。創作の物語ですので、すなわち「うそつき」ということになり、式部は死後、閻魔大王に地獄行きを告げられそうになるところ、閻魔大王に仕えていた小野篁が弁護し助けたというわけです。真偽のほどはともかく、近年は木が伐採されて墓所はずいぶんと明るくなりました。お近くに行かれる際はご参拝いただくのもおすすめです。

紫式部墓所

例年、この時期は入り口にムラサキシキブ (コムラサキ) の実が、鮮やかな紫色に染まります。紫式部の墓所にふさわしい木ですが、その名前はもとはムラサキシキミ(紫敷き実、紫重実)だったという説もあります。紫色の実をびっしりと付けることに由来するという名が、いつしか人物の紫式部のイメージと混同されていったのかもしれません。また、現在ムラサキシキブと呼ばれているものの多くが、もとのムラサキシキブとは少し異なるコムラサキという園芸品種である点も、話を少しややこしくしています。参道の奥には柘榴(ザクロ)の実もなっていました。

ムラサキシキブ(コムラサキ)

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京都検定1級に4年連続最高得点で合格(第14回~第17回、第14回合格率2.2%)、「京都検定マイスター」。気象予報士として10年以上。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2020」監修。特技はお箏の演奏。

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