色づき始めの常照皇寺の紅葉

4日に、京北の常照皇寺を訪れました。

常照皇寺

常照皇寺へは、京都市街地から車で約1時間半。京都市ではありますが、ずいぶんと遠い場所です。しかしその分、一足早い紅葉を楽しむことができます。有名なのは春の桜の時期で、樹齢600年を超える老木の「九重桜(ここのえざくら)」が国の天然記念物にもなっています。周辺では早咲きで、市内では遅咲きの紅枝垂れ桜が見ごろとなる頃に訪れるとよいでしょう。また、方丈前の桜は「御車返し(みくるまがえし)の桜」で、江戸時代に京都御所の紫宸殿前にある「左近の桜」を移した桜も見事です。

常照皇寺 九重桜

常照皇寺は、北朝初代の天皇、光厳(こうごん)天皇が晩年を過ごしたお寺として知られます。北朝の天皇ということで、歴代天皇の代数には一般的には加えられていませんが、天皇が生きた時代は、まさに激動。先代が鎌倉幕府の討幕を画策した後醍醐天皇でした。後醍醐天皇は倒幕に失敗して退位させられ、鎌倉幕府によって立てられたのが光厳天皇でした。

常照皇寺

しかし諦めない後醍醐天皇は、各地の武士を味方につけ、鎌倉幕府を滅亡に追い込みます。そして京都にあった幕府の本拠地・六波羅探題も、足利尊氏らによって攻め落とされるに至りました。その際、光厳天皇は六波羅から鎌倉へと落ち伸びる一行に同行しますが、各地で野伏(のぶせり)と呼ばれる、武装した農民集団による落ち武者狩りにあい、一行の人数は次々に減っていきます。倒せどもやり過ごせども次から次へと現れて、行く手を阻む野伏。とても鎌倉までは辿りつけないと考えた六波羅の武士たちは、光厳天皇が見ている前で、切腹して果てました。天皇の心中はいかばかりであったでしょうか。やがて光厳天皇は捕えられて京に送られますが、新政権のトップに立った後醍醐天皇によって、その即位の事実自体が否定されてしまいます。

常照皇寺

その後は、後醍醐天皇と敵対した足利尊氏に上皇として院宣を与えるなど、北朝方として歴史にかかわった光厳上皇。室町幕府の成立後は安定するかと思いきや、南朝方によって拉致されるという憂き目にもあってしまいます。光厳上皇は、南朝によって連れ去られた大和の地で出家を果たし、5年を経て京に戻った後も、俗世を離れて禅の修行に打ち込みます。やがて光厳上皇は、京都の北にある山深い常照皇寺に住み、静かな余生を過ごしました。

常照皇寺

常照皇寺は、光厳上皇のこうした波乱に満ちた人生を知ってから訪れると、また違った思いがよぎることでしょう。ちなみに、上皇は山国納豆ゆかりの人物としても知られます。常照皇寺で厳しい修行をしているのを見た村人が、稲藁を束ねて筒状にし、そこに煮豆を入れて献上しました。上皇が日をおいて煮豆を少しづつ食べていると、だんだんと糸を引くようになっていきます。

常照皇寺

せっかくの頂きものを粗末にはできないと、塩をかけて食べたところ味もよくなったそう。実は稲藁に納豆菌がいて、煮豆が納豆になったと考えられています。昔の納豆といえば、藁に包まれたイメージですが、その発祥はこの京北・山国ともされ、平安時代からあったとする伝承もあります。道の駅「ウッディ京北」では、昔ながらの藁に包まれた納豆も売られています。納豆好きの方は、本場の味をお土産にしてみてもよいかもしれません。

常照皇寺

秋の境内は紅葉が彩り、春よりも静かに時を過ごせるでしょう。一足早く葉を落とした桜の枝振りにも、春の華やかさを思うことができます。11月4日に訪れた境内は、一部ですでに紅葉が綺麗でした。機会がありましたら、足を伸ばしてみてください。

常照皇寺

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京都検定1級に4年連続最高得点で合格(第14回~第17回、第14回合格率2.2%)、「京都検定マイスター」。気象予報士として10年以上。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2022」監修。特技はお箏の演奏。

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