三河内曳山祭 例祭行列 2023年

5月4日に与謝野町の三河内(みごち)曳山祭の例祭行列(町内巡行)の様子を見に行ってきました。

三河内曳山祭 例祭行列

前回は3日の宵宮の様子をご紹介した「三河内曳山祭」。京都府北部の与謝野町で行われている倭文(しどり)神社の例祭で「丹後の祇園祭」とも称されるお祭りです。今回は4日の例祭行列(町内巡行)の様子をご紹介します。

三河内曳山祭 例祭行列

例祭行列は午後3時から出発と比較的遅い時間から始まります。私は14時過ぎに出発地点の打出所(うちだしどころ)に訪れましたが、すでに先立つ神楽舞が始まっていました。神楽舞は14時からだったようです。狭い場所で見にくいですが、同じ舞は倭文神社で16時30分から行われる例祭の中で17時頃からも奉納されます。神楽は「剣の舞、弊の舞、四方掛、乱の舞」とがあるそうで、この日は気温も上がって舞う方々も暑そうでしたが、見事な動きを披露してくださいました。

三河内曳山祭 例祭行列

続いて14時40分頃になると、金幣や御弊を持った役員が集まり出発の儀式が行われて、巡行が出発していきます。先頭は大幟(おおおぼり)。続いて神楽殿(かぐらでん)、そして4基の山屋台が続きます。山屋台の巡行順は年によって変わるようですが、今年は八幡山→浦嶋山→倭文山→春日山の順番でした。さらに子供屋台も続きます。

三河内曳山祭 例祭行列 大幟

先頭を行く「大幟(おおおぼり)」は、三河内発祥の地と称される梅谷町が出し、宝永5年以来、祭礼の先頭を大きな金御幣とともに斎行し、打出所から倭文神社までの行列を先導する役割を担います。大車は昭和3年に作られたそうです。

三河内曳山祭 例祭行列 神楽殿

続く「神楽殿(かぐらでん)」は獅子頭2頭をお祀りし、お囃子を奏でて巡行します。前日の3日には社務所や各町内の御旅所で神楽舞を奉納し、4日は打出所と倭文神社境内で神楽舞を行います。舞うのは高校生以下の青年と決まっており、実際若者が集まっている印象です。

三河内曳山祭 例祭行列 八幡山

以後の山屋台4基にはそれぞれのご神体人形が乗り、豪華な飾りで進んでいきます。「八幡山」は、文政元年に屋台の車を修理した記録があることから、それ以前に屋台があったと考えられています。八幡神は弓の神、武の神とされますが、八幡神をお祀りする由来は倭文大神が織物の神様であると共に武勇の神様であることによるとのこと。山車の二階の屋根は製造当初はなかったそうですが、近年作られたそうです。

三河内曳山祭 例祭行列 浦嶋山

「浦嶋山」は、明治25年に三河内村の出村町(愛宕山)と縄手町(稲荷山)が合併して新しく上之町となり、山車名を浦嶋山として新調しつつも、御祭神は愛宕と稲荷の両神をお祀りしているという珍しい山車です。昭和63年にすべてを新調し、各町内で一番大きく新しい山車となったとのこと。胴幕には、宇良神社の浦嶋明神縁起がデザインされ、丹後に伝わる浦島伝説が見事に表現されています。さすが、丹後ちりめんの里という装飾でした。

三河内曳山祭 例祭行列 倭文山

「倭文山」に祀られる倭文大神は、倭文大神の御分霊を奉斎して織物の祖神としてのご神徳が遍く町内に行き渡らんことを願って巡行するとのこと。2日夕刻の倭文大神御分霊の神幸祭から祭事が始まり、4日深夜の還幸祭まで祭事があるそう。山屋台の上には依代とも神社の社叢を表現しているかとも見える木々が立っているのが印象的でした。

三河内曳山祭 例祭行列 春日山

2023年の巡行の最後は「春日山」。文化3年には担い屋台でしたが、明治25年に山屋台を新調。昭和15年の皇紀二千六百年を祝し山車及び胴幕、見送りなどを新調し、豪華絢爛な現在の姿となったそうです。3日の宵宮巡行の後の万歳三唱は、春日山を出す表町が音頭をとるとのこと。4日の宮入り後に行われる余興巡行は行わないのも特徴です。

三河内曳山祭 例祭行列 子供屋台

春日山の後ろには子供屋台が続き、前日の宵宮と同様に子供たちも太鼓を叩いて「どでさっさ!」の掛け声で頑張っていました。それぞれの山屋台は豪華な織物で飾られ、見送りの赤い下地に金の文字で描かれた各山屋台の名前は、この祭りを象徴する光景です。特にそれぞれの胴幕が豪華な綴織もあって目を引きました。

三河内曳山祭 例祭行列

音曲は山屋台の下部に人が乗り込んでいて、外からは見えませんが、生演奏で奏でながら進んでいきます。後半4基の山屋台の上部には、役員と思しき町内の人が乗り込んで裃姿で優雅に進んでいくのも印象的です。

三河内曳山祭 例祭行列

地元のおばあさんのお話しを伺うことができました。その方が若い頃には女性は祭りには参加できなかったそうですが、今は女性が綱を引いたり、囃子方で参加をしていたりと、多くの方が参加するお祭りとして賑わっているそうです。「ええお祭りやろぉ」とおっしゃっていたのが印象に残りました。このお祭りはまさに地域の誇りなのでしょう。

三河内曳山祭 例祭行列

巡行は打出所から北へ進み、途中筋交い橋では「神招き(かみおぎ)」と呼ばれる神呼びの神事が、大幟町が主となって全町内の町主が集まり、厳かに行われます。口碑伝説によれば、野田川を挟んで対岸の明石(あけし)に位置する須代神社の祭神である須勢理姫命(すせりびめのみこと)は、三河内地区の氏神・倭文神社の天羽槌雄神(あめのはづちおのかみ)の妻でしたが、大国主命(おおくにぬしのみこと)の正妃となったために泣く泣く離別させられてしまったといいます。

三河内曳山祭 例祭行列 神招き

元は夫婦だった2神は、大国主命の配慮で例祭(三河内曳山祭)の時だけ倭文神社でともに過ごすことができると伝えられ、三河内曳山祭では屋台巡行の途中の筋交い橋で、須勢理媛命(すせりびめ)を呼び戻すための神事「神招き(かみおぎ)」が行われるのです。実は、今回はこの場面を何としても目にしたいと思っていました。

三河内曳山祭 例祭行列 神招き

実際に「おーい」とゆっくり3回呼びかけている様子は切なげで、一方で三河内の方々の声が合わさって迫力もあり、住宅が建ち並んで声の先の須代神社は見えませんが、きっと声は届いているのだろうと思わせる場面でした。須代神社でも社の扉を開けて、供物をして天羽槌雄神と出会われる準備を整えているとのことです。このお祭りの重要な場面を目にすることができ、とても感動しました。

二つの銅鐸

このお話しで興味深いのは、三河内で江戸時代に見つかり重要文化財にもなっている弥生時代の銅鐸(袈裟襷文銅鐸、梅林寺蔵、京都国立博物館寄託)がある点で、昨年「ふるさとミュージアム丹後」に里帰りしていたのを見に行きました。そして、須代神社境内(裏山)からも美しい流水紋の銅鐸が見つかっています。昨年の展示では、この両者が並んで展示されていて、今写真を見ると、この「神招き」のストーリがよぎるような、神の依り代がごとき佇まいに感じます。

三河内曳山祭 例祭 神楽舞

神招き(かみおぎ)を終えた一行は倭文神社を目指して進んでいきます。そして倭文神社に到着すると、役員方は階段を上った先の社殿で例祭に参列します。時間は16時30分から始まります。その神事の中で、最初に打出所で奉納されたのと同じ神楽舞があり、17時頃からの奉納となります。

三河内曳山祭 例祭 神楽舞

先述の通り、舞うのは高校生以下の青年と決まっており、若者が時に激しい動きを見せながら獅子の動きを見事に舞っていました。多くの方が社殿の前に集まって見守っていました。

神楽が終わると例祭の神事も程なく終わり、神職の方や関係者は神社の参道入り口の階段へと下りてきて、ご挨拶のあと万歳三唱となりました。地域の一体感を感じる場面でした。無事に神事が終了して何よりです。

三河内曳山祭 降ろされるご神体

山屋台はその後、ご神体人形を降ろし、飾りの胴幕を外すと、中にいた囃子方が姿を現します。そして装いも新たに余興巡行が行われていきます。三味線や笛に太鼓の音色も軽快で、最後までお祭りを楽しもうという心意気を感じることができました。余興巡行を見送って、私は祭りを後にしました。

三河内曳山祭 余興巡行

三河内曳山祭は想像以上に見応えがあり、また宵宮、例祭巡行、余興巡行と雰囲気がそれぞれ異なるという面白いお祭り。またいつか機会を得て眺めてみたいと思います。お祭りの様子は動画もありますので、ぜひご覧下さい。

ガイドのご紹介

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京都検定1級に6年連続最高得点で合格(第14回合格率2.2%)、「京都検定マイスター」。気象予報士として20年。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2022」監修。特技はお箏の演奏。

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