舞鶴市 城屋の揚松明 2024年

8月14日に舞鶴市城屋(じょうや)の雨引神社で城屋の揚松明(あげたいまつ)が行われました。

城屋の揚松明

城屋の揚松明は、京都市近郊では松上げとして伝わる行事と似たような行事で、高さ約16メートルの大松明に向かって小松明を投げ入れて火をつけ、最後は豪快に倒します。かつて旧暦7月14日行われてきましたが、今では毎年8月14日に行われています。揚松明の由来として雨引神社特有の二つの言い伝えがあります。

雨引神社

ひとつは雨乞い説で、その昔、城屋に日照りが続いて作物が枯れてしまった際、山中で水源を発見した人物が神のお告げで松明を灯したところ雨が降り始め、城屋の人々が感謝の願いを込めて雨引神社が創建されたといいます。江戸時代の天保年間に干ばつとなった際には、当時の舞鶴を治める田辺藩の藩主であった牧野氏が、雨引神社で大松明を焚いたところ大雨となり、神の徳を称える意味で城屋の揚松明が始まったというものです。

雨引神社前の大蛇

もうひとつは大蛇退治説。弘治2(1555)年、城屋を治めていた森脇宗坡(もりわき そうは)なる人物の娘が隣村の志賀郷に嫁いでいましたが、里帰りの途中で大蛇に食べられてしまいました。怒った森脇宗坡は大蛇が棲む蛇ヶ池へ行くと、池の中から大蛇が現れ、口から火を噴きながら宗坡に襲い掛かってきたといいます。しかし宗坡は臆することなく持っていた弓で大蛇の両目を射抜き、ついには大蛇を退治して娘の仇を討ちました。宗坡は大蛇の亡骸を三つに切ると、頭部は雨引神社に運んで弔ったといいます。城屋の揚松明は、この大蛇が火を噴く様子を表しているともされるのです。

城屋の揚松明

雨引神社の御祭神は水利を司る水分(みくまり)神とされ、雨乞いにまつわる神社である一方、地元では蛇神様(じゃがみさま)とも呼ばれ、蛇との関りも信じられてきたようです。揚松明の由来は当初は雨乞いの行事だったものに、後から大蛇退治の伝説が加わったとも解釈されています。

城屋の揚松明 太鼓

さて、8月14日の当日は地元の方々が早朝から大松明を準備されるとのこと。大松明には麻殻(おがら)が詰められ、竹が建てられるとその竹には御幣が付けられるそう。私が訪れた夕方にはすでに大松明の準備が整えられ、存在感が際立っていました。また、神社は川に面してありますが、神社へと渡る橋の上には藁などで作られた大蛇の姿もありました。

城屋の揚松明 神事

さて、日が暮れて20時前になると神事が厳かに行われます。大松明を作る保存会はあるそうですが、実際に揚松明を行うのは地元の青年会の皆様。神事が終わると、荒々しい掛け声で橋の上の大蛇を持ち、集落内に置かれていた太鼓の場所まで行って、太鼓とともに帰ってきます。

城屋の揚松明 太鼓

神社の境内では、青年会の方々が二人一組で入れ替わりながら太鼓をたたき、若者らしく勢いのある声援をかけつつ、勢いある太鼓の音色が響きます。太鼓の奉納は現地の掲示では21時からとなっていましたが、ずいぶん早く始まりました。この太鼓は数十分続きます。

城屋の揚松明 禊

太鼓の奉納が終わると、青年会の方々は提灯を手にして川の上流部へと向かい、そこで川の中に入って禊を行います。そして再び集まると、それぞれが自己紹介や意気込みを一人ずつ皆の前で声を張り上げ、気合を入れます。若さを感じる場面でした。

城屋の揚松明 小松明

やがて神社に戻ってくると、境内では火が焚かれ、これから投げ入れる小松明に火が灯され、いよいよ22時頃から揚松明が本格的に始まります。やはり掛け声が荒々しく、皆さん気合が入っているように感じました。

城屋の揚松明

城屋の揚松明は、京都市の花脊などで行われている松上げと同様に小松明を投げ入れて行きますが、揚松明では棒状の小松明は根元で束ねられており、それを上下に回転をかけて投げるため、写真で数秒間露光をすると放物線が波打っているように見えるのが特徴です。また、皆で準備を整えて一斉に投げ合うのも迫力がありました。花脊などではそれぞれが順次投げていきますので、この辺りも相違点です。

城屋の揚松明

最初は暗闇の中で小松明の炎が飛ぶ様子が目立ち、やがて最初の松明が大松明の中に入ると大きな歓声と拍手があがりました。やがて大松明が燃え始めると、徐々に周囲が明るくなり、揚松明の迫力も増していきます。大松明にはなかなか入らない分、入ると歓声と拍手が送られ、投げる方もやりがいがありそうです。

城屋の揚松明

大松明からは徐々に火の粉が舞い落ちるようになりますが、その様は炎の雨が降っているかのように大変美しく、城屋の揚松明が雨乞いに由来する行事というのも、こうした情景が関連しているのかもと思わされました。そして降り注ぐ火の粉の中でも臆することなく投げ続ける青年会の皆様も見事でした。

城屋の揚松明

大松明の上に刺してあった竹はやがて下へと落ちていきます(付けられた御幣は神前に奉納されるとのことです)。舞い落ちる火の粉は徐々に激しくなり、大松明は今にも崩れそうになりますが、それでも青年会の皆様は小松明を力の限り投げ続けていました。

城屋の揚松明

そしていよいよクライマックス。大松明はやがて崩壊し、下へ上へと凄まじい勢いで火の粉を巻き上げます。今回初めて城屋の揚松明を見ましたが、その大迫力には圧倒されました。大松明の根元も燃え上がり、一方で上にはまだ燃え落ちていない部分が残り、炎の勢いが最高潮を迎える場面です。この崩壊の仕方も年によって違うそうです。

城屋の揚松明

大松明の上で燃えていた部分もやがて火の粉を上げて落下すると、最後に大松明そのものが倒されました。倒れる場面はもちろん大迫力で、観客は悲鳴にも似た歓声を上げます。大松明が崩壊してから倒すまでの場面は本当に勇壮で、夜空に舞う火の粉は大変美しく、感動的でした。

城屋の揚松明

大松明が倒されると、青年会の皆様はすぐさま川に入って水を汲み、バケツリレーで火を消しにかかります。別途消防団と消防車が準備万端で待機していますが、青年会の手際の良さにも驚かされました。

城屋の揚松明

こうして消火作業が済むと、青年会の皆様は胴上げなどをして打ち上げモードに入っていました。やがて大松明の周りの安全が確認されると、規制が解除されて周囲に入れるようになり、地元の皆さまは小松明の燃え残りなどをお守りとして持ち帰っておられました。といった場面までを見届け、興奮冷めやらぬ中、神社を後にしました。城屋の揚松明は大松明との距離が近く、大迫力の炎の祭典でした。京都市内からは行きにくい場所ではありますが、ぜひまた遠くない未来に予定を開けて見に訪れたいと思います。城屋の揚松明の様子は動画もありますので、ぜひご覧ください。

ガイドのご紹介 吉村 晋弥

京都検定1級に7年連続の最高得点で合格(第14回合格率2.2%)、「京都検定マイスター」。気象予報士として20年。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。BS朝日「あなたの知らない京都旅」、KBS京都(BS11)「京都浪漫」出演。特技はお箏の演奏。

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