昨年12月に受験した京都・観光文化検定試験(以下、京都検定)の1級。8年連続で最優秀賞(最高得点)の賞状をいただきました。今回はかなりの長文ですが、京都検定1級について思うところを書いてみました。

通算10回の合格を目指して、9年前から再度受けている京都検定1級。今回も合格することができました。通算10回目の合格で、目標を達成することができました。今回の合格率は2.7%、合格者は24名でした。今回の私の得点は130点(150点満点)で近年で最も低かったものの、最高得点者(8年連続)ということで、賞状が送られてきました(同点の方は他にも1名おられます)。京都検定は3級から1級までありますが、最も難度が高い1級の最高得点者が、その回の京都検定全体の最優秀賞となります。各回問題が変わり、相性もある中、奇跡的に8年も続けて結果を残すことができたことは私自身驚くばかりで、何より毎年無事に受験ができ京都に居続けられることへの感謝の念が湧いてきます。また、コロナ過でも検定を開催し続けてくださった運営にも感謝いたします。

今回は問題自体がかなり難しく、私も手ごたえとして最高得点は無理だと思っていましたが、まさかの結果でした。合格発表とあわせて発表されていたのが、大問9の「後醍醐天皇」が答えだった問いが、問題の不備で基本的に全員正答になったというお知らせ。私はこの問題は本来間違えていたはずなので、その+2点が無ければ最高点ではなかったでしょう。今回は合格点の120点~最高点の130点までのたった10点の間に24人がひしめく激しい僅差でした。そして今回も前回も、最高点の方はもうひとりおられます(その方も大いに称賛されるべきです)。私自身については紙一重であっても奇跡的に結果を出せたということに一定の価値があるでしょう(”連続で最高点”という意味で)。

それにしても今回の1級は問題の難度自体が上がり、困惑された方も多かったと思います。私が最高点を取ってきた過去7回の平均点は142点です(150点満点)。それと比べると今回の130点は際立って低く、厳しい結果でした。他の方も例年であれば130点以上を取る方は何人もおられますが、今回私だけではなく全体として得点が伸びなかった理由の最たるものは、やはり問題自体の難化があるでしょう。

以下、京都検定1級への苦言も書きます(2級・3級は対象外です)。無条件で京都検定を信奉しておられる方など、不快に思う方もおられるかもしれませんが、私自身が受験生のひとりでもあり、感じてきたことをありのままにまとめておきたいと思います。僭越な部分もあると思いますが、お許しください。
大前提として、京都検定が京都観光に及ぼしている功績は大きいと感じます。ご当地検定を長く続けていくのは難しく、20年も続けてきてくださったこと、3級・2級とステップアップしながら京都の魅力を学ぶための一助となり、京都ファンであることのひとつの証明となっていることは素晴らしいことです。合格者特典に協力してくださる施設に対しても、感謝するばかりです。一方で、京都検定はその規模と継続性において影響が大きく、京都ファンであれば一度は目指してみようと思う方が多い検定だと思います。だからこそ私自身もひとりの受験生として、京都ファンのひとりとして、また耳に入る周囲の受験生の素直な言葉も踏まえ、書いておきたいと思うのです。なお、以下はあくまで私の一意見であって、賛同を含め他者の意見は求めておりません。共感、批判、何か送っていただきましても、基本的には返信はいたしかねますのでご容赦ください。
京都検定1級はなぜ難しいのか
身に染みている方もおられると思いますが、京都検定1級の難しさについて整理しておきましょう。1級は2級・3級までの4択とは違って記述式。1問2点で150点満点です。2級合格者のみ受験資格があります。長らく大問8~10は論述問題で、1つの事柄について5つの問題の答えを織り交ぜて、150字以上200字以内で記載します。京都検定1級の実施要綱には「京都の歴史・文化などについて高度な知識レベル」、「京都の魅力を発信でき、次世代に語り継ぐことができる」との記載があり、出題範囲は「テキストに準拠」となっています。つまりテキストの記載のみならず、京都の歴史・文化に関することなら何でもといってよいほど幅広く出題されます。
1級の何が難しいかといえば、まず合格は得点率が80%(120点)以上だということ。2級・3級は70%の得点率で合格です。「正解:不正解」の比率を「7:3」から「8:2」に上げるのは難度が大幅に上がり、5問中4問正解で+-ゼロ(得点率70%でOKなら貯金ができますが、8割ではできません)。5問中3問しか正解できないと、取り戻すにはどこかで5問中5問正解するしかありません。つまり、失点を取り返すのが難しいのです。そのため、まずは失点をしないための勉強がベースになります。それは2級・3級レベルの知識を確実にすることです。しかし、1級受験者はすでに2級に合格した方々ですので、すでに知っている(と思っている)知識を復習し、確実な記憶にしていく勉強は、知的刺激は乏しいでしょう。どうしても新たな知識を求めて、深い知識へと手を出す方が多いのですが、京都検定1級で問われるのは基本的には「広く正確な知識」だと私は思っています。まずは失点しないための基礎固めです。過去に出題された1級の問題と似た問題が出題されることもありますので、過去問も確実に解けるようにしておきましょう。
次に漢字で書く必要があること。1級は漢字間違いが0点です。実は私は子どものころから漢字が苦手で、1級の勉強でもかなり苦労しました。菅原道真が書けなかったこともあります。徳川の漢字が自信がなかったこともあります。この後述べますが、日常では書くことがないであろう難しい漢字が問われることもあります。答えがわかっていても漢字が書けない=0点なのです。京都の知識のみならず、漢字の能力が求められます。漢字を覚えるためには、とにかく書く。どんなに優しい漢字でも、わかっているつもりでも、必ず書いて覚えるようにしてください。簡単な漢字でも音で覚えていると、突如思い出せなくなることもあります。体に染みつかせるレベルまで書くことです。土方歳三、和田三造、浄蔵貴所、日像など、同じ「ぞう」でも漢字が異なる場合があります。康尚、康勝、康正はいずれも「こうしょう」で、しかも皆仏師。こうした漢字での区別は必須です。
そして出題範囲が無限大であること。最初に2級・3級までの知識を確実にすることがベースだといいました。しかし、1級ではただでさえ情報量の多いテキスト内からの出題のみならず、テキスト外からも多くの問題が出題されます。最新の話題、周年問題、丹後・丹波・南山城などの問題など、膨大過ぎて何から手を付けていいのかわからないという方も多いでしょう。感覚的には覚えたことの99.99%は出題されない試験だと私は思っています。
今回(第25回)の京都検定1級は特に難しかった
さて、今回の京都検定1級は、過去でもトップクラスに難度が高かったです。最高点が130点しかないのは、私の調査では過去2番目の低さです。最も低かったのは第12回1級の129点で、この時の合格率は1.8%です。その時よりはマシなように見えますが、さにあらずで、この第12回は1級の複数回合格者をマイスターとして認定する制度ができる前で、私も受験をしていない回です。現在は1級に合格したことのある方も再度受けていて、それでも合格率は2.7%、130点しか取れなかったということです。また、受験生の平均点は「57.0点(得点率38%)」しかありません。過去の平均点は、いま私の手元でわからない回があるものの、わかる範囲では、合格率2.2%と今回より低かった第14回の1級が「62.7点(得点率41.8%)」で平均点では今回のほうが低く、合格率3.1%だった第16回の1級で「65.2点(得点率43.5%)」です。近年は平均点は70点台の回が多いです。今回の1級の平均点「57.0点」は近年ではダントツに難しかったことを示しています(しかも基本的に全員が+2点されている問題もありました)。なお、私の手元で確認できた中では、合格率4.0%だった第11回の平均点が「55.0点」だったのが過去最低なのかもしれません。一方で、初期のころの1級は平均点が90点を超える回が複数ありました。いったいどうしてこんなに難しくなってしまったのでしょうか。私が最初に合格した時(第5回1級)の平均点は94.5点でした、あの頃とは別の試験のようです。
昨今は優秀な京都検定ブログもあり、受験生のレベルが上がっているとは感じますが、問題のレベルを上げる必要があったのでしょうか。京都検定1級は、定員がある入学試験でもなければ、国家資格でもありません。1級合格に何か特別な特典があるわけでもありません。まっとうに頑張っておられる方には気持ちよく合格してもらったらよいのではないでしょうか。複数回合格のマイスター制度もあるわけで、複数回合格者はより高い得点を目指すなり、自分なりの目標を作って受けることもできます。問題を難しくして、合格者を減らす必要性は私には見いだせません。
いちおう知識に関する私の感覚を具体的に書いておきます。京都に関するある分野(織田信長とか神護寺とか茶道とか、分野は無限大)について何も知らない知識0から、あらゆることまでわかっている知識10までの11段階の深さがあるとして、例年であれば、京都検定3級で必要な知識は「1」、2級は「2」、1級は「2~3、たまに4」だと感じています。無理やり数値化するならば、レベル1が基礎として10個のキーワードを覚えるとするならば、そこから1レベル上がるごとに、3~4倍くらい量が増えるイメージ。すなわちレベル2なら1つの分野に30個~のワード、レベル3なら90個~のワード、レベル4なら270個~のワードでしょうか。深い知識になると、それだけ覚える量が飛躍的に増えるということです。
その点で、1級と同じく難しかったといわれる今回の2級を解いてみた感覚では、「2~3」くらいのレベルだと思います(つまり例年の1級の問題レベルに近い)。「1」の知識しか持っていない人から見れば、「2」も「3」も「6」も「9」も”知らない!”となるのですが、今回の2級は「2~3」くらいなので、ある程度知識がついてくると、ほとんど答えられるような問題ではあるはずです。すなわち今回の2級の問題があらかた答えられる人は、1級の合格も遠くはないと私は思います。
話がそれましたが、今年の京都検定1級は「3~4」の難度の問題がほとんどだった印象です。すなわち例年の2級に相当する「2」の知識では通用しなかったと思います。先述のように、知識の深さが深くなれば、覚える量は飛躍的に増えます。そして1級は出題範囲が大変広いです。1級の勉強の大変さは、受験を何年も続けてきた方にしかわからないかもしれません。とにかく今回は全体的に難し過ぎた。京都に関する無限大の分野を「3~4」の深さの知識で網羅するのは至難の業だと実感します。
今回(第25回)の京都検定1級について
今回の1級は、私は時間がギリギリで、自分の解答を見直す余裕がほぼありませんでした。難しい漢字を解答させるのは相変わらずですが、今回特にきついなと感じたのは終盤の大問8の論述問題に記載する「木下長嘯子」です。まず、1級の受験者は直前に膨大な量の漢字を紙に書きまくっています。なぜならば漢字間違いは「0点」だからです(1問2点)。答えがわかっていても漢字が書けないと非情にも0点です。ですので直前の勉強では当然、漢字を紙に書いて書いて書きまくるのです。現代はパソコンで文字を打つことが多いため、膨大な漢字を書き続けると、おそらく多くの方は腕が疲れて力が入らず小刻みに震え始めますし、腱鞘炎になって手に湿布を貼って頑張っておられる方も知っています。腕には疲労が蓄積した状態で試験に挑んでいるのです。
そして1級の論述問題(大問8~10)は終盤にあり、しかも解答マスは「0.9㎜四方」しかありません(下書き用紙から測定)。試験終盤の疲れた腕で「嘯」の文字を小さいマスに正確に書かねばなりません。私は手が震えて細かい線が乱れ、10回以上も消して書き直しました。書き直しで時間が減っていきます。木下長嘯子は重要人物ではありますので、その出題自体を非難する気はありませんが、しかし終盤の0.9㎜四方のマスに「嘯」の文字を書かせるのは過酷です。せめて多少なりとも解答欄が広く、腕に力が残っている序盤で問えばよいのではと思います。
また、今回は「富岡鉄斎」、「博覧会」に関する大問が出題されました。富岡鉄斎自身は重要です。2024年は京都国立近代美術館で「没後100年 富岡鉄斎」展があり、私も見に行きました。京都を学ぶ上で知っておくべき人物であるのは間違いありません。しかしそうはいっても、富岡鉄斎について大問を作って5問も問うほど、京都観光にとって超重要かと言われれば、私の考えは「否」です。今回の平均点を見ると10ある大問の中で、富岡鉄斎関連の大問6が最も得点率が低く、2.3点(10点満点)しかありませんでした。普通は京都検定対策として深堀りをして富岡鉄斎のことを勉強してはいないでしょう(平均点の低さにも表れています)。他にも覚えておきたい分野が膨大にあるからです。
なぜ富岡鉄斎関連が5問も出されたのかと察するに、京都検定を主宰する京都商工会議所が、2024年に旧富岡鉄斎邸をリノベーションし、「文化と産業の交流拠点(仮称)」 を開設したことによる可能性が高いと感じました。それとて一般公開日がごくごく限らており、いつでも訪れることができる場所ではありません。また、大問7の「博覧会」に関しては、今年開催される大阪万博に京都商工会議所も力を入れている点が関係しているのかもしれません。もちろん京都検定の主宰は京都商工会議所ですから、多少の関連問題が出ることはあるでしょう。しかし論述問題を含め全体でたった75問しかない中で、富岡鉄斎関連に5問も費やすほどの重要人物でしょうか。富岡鉄斎は前回の京都検定1級の解答でも出題されており、2年も続けて富岡鉄斎を問う必要があるとは私には思えません。他にも出題するにふさわしいことは京都には山ほどあると思います。全75問が、1問の隙もなく、手前味噌になりすぎず、京都観光全体を考えた良問のみであってほしいと願うばかりです。合格まであと1点、あと1問で落ちる方もおられます。出題側もその問題を出すべきか、徹底的に検討をしていただきたいと願っています。
そして、これは過去の京都検定の問題にも言えることですが「観光」検定という名称である一方で、観光で行く場所ではないところが出題されています。今回出題されたのが、富岡鉄斎の墓がある「是住院」。門前には説明の駒札はなく、石碑がある程度。少なくとも観光寺院ではないでしょう。今回でいえば宮津の「佛性寺」も同様です。是住院には、京都検定受験の数日後に訪れましたが、お墓参りをさせていただけるのか、インターホンを押すまでわかりませんでした(観光寺院かどうかを確かめるために事前のアポなしで訪れてみました)。ご住職様は出題されていることをご存じなく、私のように突然訪れる方が他にも来られていると言って驚いておられました。受験生の心理として、出題された場所には訪ねてみたくなりますが、そこが観光に来てほしくない場所である可能性もあるでしょう(事前に出題の許可を取っていないようですので)。できるならば問題の出しっぱなしではなく、試験後でも出題場所と調整をして、参拝情報(参拝不可なら不可で)を京都検定の運営として発信していただければと思います。
絶望的な初合格者の少なさ
今回の1級の合格率は2.7%、合格者は24名。現在は1級合格者に複数回の合格を目指してもらうマイスター制度があるため、複数回合格者23名を差し引くと「初合格者はたったの1名」です(出典は京都検定公式発表のこちらから)。1級の受験者数は884名でしたので、差し引き860人、97.3%が不合格になる検定です。しかも全員2級合格者で、さらに過去の1級合格者が受験をして不合格だった数も含まれています。初めて合格する方の合格率はあり得ないほど低いです(今回は1%未満でしょうか)。この超難関といえる検定をチャレンジしたいと(し続けたいと)思うには、相当な胆力が必要です。2級からさらにステップアップして1級を受験しようと思う方々が、”合格できるかも”と感じる期待値があまりにも低すぎると私は思います。
もちろん全国のご当地検定で最難関とも言われる金沢検定上級のように合格率0%の回があっても挑戦者がおられる検定もあります。しかし、京都検定と金沢検定の大きな違いは受験料。京都検定1級は7,700円(+Web申込は550円なので計8,250円 ※団体申込は6,160円)。金沢検定上級は2000円(+振込手数料など)です。また金沢検定上級はマークシートで、京都検定1級は筆記(漢字間違いは0点)。金銭的な負担、受験勉強に対する負担が全く違います。そして、金沢検定上級の統計は最新の回は受験者数は増えてはいますが、過去10回を見ると受験者数は減る傾向が明確です。あまりに高すぎる壁は、受験自体を敬遠させてしまうのは当然ではないでしょうか。
京都検定1級を個人でWeb申込された方は8000円を超える受験料を払い、貴重な時間をかけて勉強し、今回は97.3%が不合格。しかも初合格に至ってはたったの1名です。もちろん勉強の過程で京都について新たなことを知るのが楽しく、難しいほどやりがいがあると感じる方もおられるでしょう。初合格者がほぼ出ないことを知ったうえで受験される方もおられるでしょう。京都検定は基本的には誰かに強制されて受けるものではありません。ひとりひとりの自由意志で受験するわけです。しかしながら、受けるからには「合格」を欲するのが人の心ではないでしょうか。今回の結果は希望が無さすぎます。あまりの難度に、私の周囲では「もう京都検定1級の受験をやめます」といった声が複数聞こえてきています。それももっともなことです。1級の受験勉強に対する労力は極めて大きく、その上で合格への希望が見えないからです。この難度では受験者数は減っていく可能性が高いと感じます。京都検定の存続にとってもプラスではないでしょう。
「京都の魅力を発信でき、次世代に語り継ぐ」ための知識を問う問題か?
そもそも私が京都検定1級を受け続けてきたのは、京都検定1級の実施要綱に書かれているように「京都の魅力を発信でき、次世代に語り継ぐことができる」ようになることが目標だからです。私が京都検定と出会った20年ほど前から変わらないコンセプトで、実施要綱にあり続けている以上、この文言こそが京都検定1級の揺るぎない軸であるのではないでしょうか(少なくとも私はそう捉えています)。
「京都の魅力を発信でき、次世代に語り継ぐことができる」。素晴らしいコンセプトで、実際にそれにふさわしい問題が多数出題されているとも思います。しかし、1級の問題がすべてそうなのかと見定めると、残念ながら中には私のこれまでの経験からしても「京都の魅力を発信でき、次世代に語り継ぐ」ために必要とは思えない知識を問う問題もあります。例えば、2020年の第17回試験で出題された「藤原季綱」。鳥羽離宮を白河上皇に寄進した貴族として公式テキストに載ってはいますが、はっきり言って覚える必要のない名前でしょう。私自身、鳥羽離宮跡をご案内することは何度もありますが、説明の際に藤原季綱の名前を出して解説する必要性は感じません。貴族が上皇に寄進をし見返りをもらうという成功(じょうごう)の話はすれども、誰が寄進をしたのか具体名を言っても言わなくても、聞き手のお客様にはどちらでもよいことです。なぜ藤原季綱が「京都の魅力を発信でき、次世代に語り継ぐ」ために必要な知識なのか、問題を作った人にはその出題意図をお聞きしたい。信西の祖父だからということでしょうか。もしも「テキストに載っているから」という理由ならば、それは大変残念なことです。我々受験生は生身の人間であって機械ではありません。テキストの一言一句を丸暗記しておられる方は、ほぼおられないでしょう。テキストに書かれている事柄の中で何が重要なのか、どの語句が「京都の魅力を発信でき、次世代に語り継ぐ」ために必要なのかを吟味し、見極めたうえでの出題をお願いしたいと思います。
そして私がなぜこの問題に噛みついているかといえば、1級の勉強をする人は”藤原地獄”にハマる方が多いからです。政治的・文化的に重要な藤原〇〇は大変多く、京都を学ぶ上で知っておく必要性の高い藤原〇〇の区別は大変です。藤原季綱のような、正直鳥羽離宮の土地を寄進した以外に名が出てこないような人物まで出題されるならば、いったいどの深さまで藤原〇〇を覚えればよいのか?この藤原季綱の出題以降、私が思うに覚える必要があるとは思えないような藤原さんまで、受験生はまじめに一生懸命覚えようと頑張っています。その点でこの問題は罪作りなのです。
2023年の第23回試験では、神君伊賀越えの「松」峠、「裏白」峠が出題されました。そもそも経路が諸説ある伊賀越えをテーマに選ぶのも私はどうかと思いますが、峠の名前というマニアックなことを2問も問う必要性がわかりません。松峠は信楽街道と瀬田道との分岐の要衝だとか、裏白峠は国境だとか、意図はわからないでもありませんが、「松峠」は車では通れない道で、「裏白峠」は現地に峠を示す表示すらありません(裏白トンネルはありますが)。”観光”でこの峠を訪れるのはよほど好きな方に限られ、知識だけで峠の名前を知っておくことにどれほどの価値があるのでしょう。それよりも伊賀越えルートを通じて、湯屋谷周辺なりの観光価値の高い場所を出題した方が、出題実績としてはよかったのではないかと感じます。問題に出た場所に、受験生は行ってみたくなるものです。現地観光に少しでも寄与すると思われます。
同じく2023年の第23回試験でいえば、「與杼神社(よどじんじゃ)」が出ていたように、難しい漢字や間違えやすい漢字を問う問題が、昔から1級にはあります。しかし「與杼」の漢字を使うのは、今はこの神社名か競馬の與杼特別くらいで、汎用性がありません。知識としてなら千観内供を問うた方が、愛宕念仏寺や勝龍寺、箕面方面との関連もあって、まだ価値はあったとは思います。なぜ「與杼神社」を漢字で書けることが「京都の魅力を発信でき、次世代に語り継ぐ」ために必要なのか、私には理解できませんでした。なお、與杼神社自体は秋にはイチョウが美しく、2本並ぶ様子は「契(ちぎり)のイチョウ」と呼ばれています。淀城跡もすぐ近く、淀に行かれる際には立ち寄ってみてください。
1級では難しい漢字を問う問題が出される一方、揚げ足取りのようで恐縮ですが、触れておきたいのが2022年の3級23問目で「鍾馗」が”鐘馗”と誤った漢字で出題された出来事です。実は「鍾馗」は、第13回の1級で出題されています。難しい漢字は京都検定の出題側でさえ間違えてしまっています。私が残念なのは間違いそのものではありません。これまで私が目にしてきた中では、どんなに実績や名声のある先生でも、メディアに出ている先生でも、事実認識の誤りや漢字表記の誤りをしない先生は誰一人としていませんでした。私自身も漢字はよく間違えますし、言い間違いもします。すなわち間違いを無くすことは不可能に近いことです。なるべくしないように細心の注意は払いつつも、どんなに注意していても、間違ってしまうこと自体は起こりえると思います。
ならばこそ、ただただややこしい漢字を書かせる問題を出す方針が私には疑問なのです。もっと易しい漢字表記の答えで「京都の魅力を発信でき、次世代に語り継ぐ」ために必要な知識を問う問題はいくらでも作れると思います。他にも過去の出題にあった「卍字くずし」は萬福寺の公式ホームページ内では「卍くずし」とも書かれていて、本家本元ですら表記や漢字がぶれているという話もあります。そういった漢字や表記で頭を悩ますような問題を出すことは、私には大変残念に感じられます。出題側は問題を作る過程であれば、漢字や表記の正確性はパソコン上で調べることができるはずです。それにもかかわらず間違えてしまうレベルのややこしい漢字や表記を書くことを、試験会場で記憶のみが頼りの解答者に求める問題は、とても酷だと感じてしまいます。
一方で、2011年に「1級 記述式試験の留意点について」とのタイトルで、漢字表記についての注意が公式に出されていますので、その中の一文を引用してみましょう。『京都検定は京都を学ぶ入口に過ぎません。漢字表記にもそれぞれに意味がある場合が少なくありません。より深く勉強されますことを希望します。』 なるほど、その通りだとも思います。では『漢字表記にも』『意味がある場合』とは具体的にはどういうことかといえば、例えば過去に1級で出題をされた「阪東妻三郎」の漢字はなぜ”坂東”ではないのか、丹後の「間人(たいざ)」は穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)に由来する、「舎密局(せいみきょく)」はオランダ語からきているなどになるでしょうか。漢字にも意味がある問題は、ややこしくとも良問ともいえるでしょう。しかしながら、漢字表記に意味があるワードを問うのと、単純に難しい漢字のワードを問うというのは似て非なることではないかと思います。難しい漢字のワードは、選択肢のある2級で出題をすれば十分ではないかと私は思います。
批判を書きましたが、一般的には難しくとも、私が「京都の魅力を発信でき、次世代に語り継ぐ」ために必要な知識を問うていると思う問題にも触れておきます。2022年の第21回1級で出題された「佐々木盛綱」。私は醍醐寺の藤戸石を語る際にはこの方の話もします。藤戸石は三宝院へ行けば必ず解説する有名な石ですので、藤戸という名前の由来を調べると佐々木盛綱には行きつけるはずです。2021年の第19回1級に出題の「君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)」は、恥ずかしながら私は解答できませんでしたが、その後調べると大変重要であることに気が付き、その後博物館でも出典になっているのを見て納得した記憶があります。2020年第17回1級で直接解答になったわけではありませんが城陽市の「芝ヶ原古墳」は、南山城の古墳を語るには重要で、私が城陽の古墳をご案内する際には訪れています。2019年第16回1級に出された「慶光天皇」は、江戸時代の尊号一件で出てきますし、廬山寺には御陵があります。泉涌寺の「善能寺」と同様に、現地をご案内するという視点でも、訪れる可能性がある場所だとは思います。これらは一般的には難問だとは思うのですが、いずれもその分野では重要性があり、出題には一定の納得感が私にはあります。
通算10回目の合格の先にあったもの
私は今回で通算の1級合格回数が目標だった10回に達しました。年に1度の試験で10回合格。すなわち最短でも10年です。1級受験には2級の合格が必須なので、そこも入れれば最短で11年です。普通は途中で落ちることや受験期間が空くこともありますので、とてもとても長い時間です。人生の貴重な時間を京都検定に費やしてきたといっても過言ではないでしょう。
長い時間をかけて10回合格を達成し、10個の石が付いたバッジが届いてみて、もっと感慨があるものかと思っていましたが、特にありませんでした。ただ「家族のために結果を出せたことはよかった」という感想です。そして、通算10回合格者は表彰していただけるので、そこを目指して何年も頑張ってきたわけですが、なんと表彰式の日に仕事が入っており、行くことができません(仕事をキャンセルしてお客様に迷惑をかけるわけにもいきません)。※2月8日追記:仕事の調整が付き、出席できることになりました。主催者や生徒の皆様をはじめ、関係の皆様にはご迷惑をおかけいたします。当然、私のように仕事がある人もいるわけで、10回合格の可能性がある人向けに、表彰式の日程を候補日だけでもよいのでもっと早く、数か月前から告知をしてくれたら仕事の調整もできたかもしれないので、大変残念です。
10回合格までに費やす時間と労力の重みを、京都検定の主催者にもどうかわかっていただきたい。人生において最短でも11年かかることの重みを想像してみていただきたい。受験生にはご高齢の方も多くおられます。私が初めて2級を受けたのは2005年、1級合格は2008年、1級再受験は2016年でした。2005年からですと20年目です。本当に長い時間でした。1級の勉強は基本的には孤独です。出題範囲が無限大の試験。2級合格までに覚えた(と思っている)ことを確実な知識にするための地道な勉強。昨年覚えていたことを今年は忘れてもいます。体調・生活環境も変わっていきます。そうした時間を、10年以上も積み重ねてきたわけです。どうか来年以降の達成者には、できるだけ表彰式に出席していただけるように前々から配慮をしていただいて、大きな拍手とともにねぎらいの言葉をかけていただき、達成感を感じていただけるようにと心から願っています。受験生あっての検定ではありませんか。
ということで、私には記念品が送られてくるだけになります。これまで何度最高得点を取ろうとも表彰式に呼んでいただく機会はなく、今回の10回合格でも残念ながら予定が合わず、これから先も呼ばれることはないでしょう。3級の団体受験を組織的に行っているG1グランプリの表彰で毎回呼ばれている方を記事で見つつ、正直なところ、私も一度くらいは京都検定の運営側から拍手で称えてもらう体験をしたかったなと思います。10回合格の行き着く先にあったのは、私にはただただ残念という気持ちでした。こういう時は見栄を張って殊勝な言葉でも並べるほうがよいかもしれませんが、今後に続く方々が達成感を得られるような場がちゃんとあってほしいと願いつつ、かっこ悪くとも偽らざる本音を書き残しておきましょう。もちろんこの感覚は人によって違うであろうことも付け加えておきます。
京都検定を受けて何を目指すのか?
検定を受ける方々には「京都検定を受けて何を目指すのですか?」と問いかけたいてみたいです。動機は様々にあるでしょう。純粋に京都に詳しくなりたい、もっと京都を好きになりたい、学ぶことが楽しい、京都好きな仲間が周囲に増えることがうれしい、誰かと一緒にひとつの目標に向かって頑張れるのが生きがいだ、1級は難しいからこそ合格できれば達成感が得られる。あるいは仕事に活かしたい、合格者特典が魅力、合格すると給料が上がるといった動機もあるかもしれません。どんな動機でも結構ですが、まずは京都を学ぼうと思っていただいて、ありがとうございますとお伝えしたいです(偉そうにすいません)。
私が初めて京都検定を受けたのは2005年の2級でした。当時は千葉に住んでいて、社会人としての激務と学生時代に過ごした京都を離れたことで、ようやく京都の魅力に目覚め、休みの日には夜行バスなどを使って無理をしてでも京都に通っていました。あの頃の京都へ来るたびにワクワクした気持ちは今でも思い出します。京都検定のテキストに載っている場所に行ってみよう、載っていた行事を見てみよう、百聞は一見に如かずで、実際にこの目で知らなかった京都を見て回るのは本当に楽しい時間でした。京都検定を通じて、より多くの方が京都を学び、その魅力を感じようとしてくださることに、私からはありがとうございますと伝えたくなるのです。
人は知らないことを知っていくことに喜びを感じると思います。京都検定3級の難度はその点では、ちょうどよいと思っています。そして2級。出題範囲が広がり、回による難度の変動もあり、より大変ですが、丁寧に取り組めば合格できる(7割の得点はできる)難度の範疇だとは思います。
しかし、1級については話が変わります。今回のように97.3%が落ちる試験、初合格はたった1名という、超難関試験に初めて挑もうするパワーは相当なものが必要です。合格者特典は3級・2級・1級とも同じで、昔はあった「1級合格者のつどい」も今はなく、1級に合格できたとしても実利は本当に何もありません。合格ができれば名誉はあるでしょう。初合格の際には達成感も大きいでしょう。1度や2度の受験で合格できる方はお見事で、まだ勉強が楽しいという感覚だと思います。しかし3度、4度、5度と跳ね返されていく、あるいは私のように10回合格を目指して何度も受ける。それを毎年楽しめる方なら何も言うことはありませんが、しんどいと思うのでしたら、その年単位でかける時間、労力、お金を、もっと自由に京都の別な分野に向けていただくのもよいと思うのです。1級で求められているような「広く正確な知識=膨大な基礎学習+漢字力」を身に付けなければ京都を楽しめないわけではありません。京都検定1級だけが京都通ではありません。京都を愛する方々は、ぜひとも京都検定1級の呪縛にとらわれず、限りある時間の中で、皆様の心の赴くままに気になる分野を学び、1級の知識以上に深め(私の理論でいうなら知識レベル4→5→6と深め)、好奇心を満たし、心を癒し、そして京都でよい時間を過ごしていただきたいと、私は心から願っています。
京都好きが増えるような検定であってほしい
主催者側にも問いかけたい。「いったい京都検定(特に1級)は、受験生に何を求めているのですか?」と。ここまで苦言も書いては来ましたが、京都検定の維持に尽力されておられる主催側には純粋に感謝申し上げます。私の娘も何年か先には「ジュニア京都検定」を受けるようです。子どもたちの中には、京都の魅力に目覚めてくれる方もいることでしょう。すそ野を広げる活動も未来の京都のためになるはずで、まさに「次世代に語り継ぐ」活動なのかもしれません。
一方で、1級に挑む過程で「京都を嫌いになる」という、大変残念な声が私の耳には何人もの方から届いています。何人もです。どうやって勉強をしたらよいのかわからない、あんなに勉強をしたのに出題されない、何度受けても跳ね返される等など、その理由の多くが受験に対する徒労感です。私の感覚では、1級は覚えたことの99.99%が出題されない検定です。合格したいと本当に一生懸命にまじめに頑張っておられる方も知っています。決して努力が足りないようには見えません。1級が難しいのは「出題範囲が無限大」という点が最たる理由です。情報量の多いテキスト+どこから出るかがわからない。あまりにも膨大過ぎる。何をどう勉強したら合格できるのか?暗中模索になってしまう方もおられると思います。
本来京都を好きだった方に、せっかく受験をしようと思っておられたはずの方に、「京都を嫌いになる」とまで京都検定が言わせてしまうのは、大変悲しいことです。今回のように97.3%が落ちる、初合格が1名というのは、度が過ぎています。繰り返しますが、京都検定1級は定員がある入学試験でもなければ、国家資格でもありません。1級合格に何か特別な特典があるわけでもありません。高いレベルの知識を持った方を称えるならば、105点~119点の方を「準1級」に認定しているように、例えば140点以上の方をふさわしい名前(「段」なり「永世」なり「殿堂入り」なり)を付けて評価する手もあるのではないでしょうか(得点率9割の135点以上でもよいかもしれません)。真面目に京都を好きで勉強をしている方々が「合格」できる難度設定、あるいは合格のための道筋を示していいただくことをお願いしたいと思います。出題者側も決して、京都検定から離れる方を増やしたり、「京都を嫌いになる」という方を生み出したいわけではないはずです。さすが京都商工会議所というような鮮やかな知恵とともに、受験生が増えて検定が活況となり、受験生もやりがいと達成感、そして京都を学ぶ楽しさを得られるような検定に変わっていってほしいと願っています。
一案として、私は主催者側にはもっと純粋な受験対策の講座、出題した問題の解説講座を開催していただきたくとよいのではと思っています。今回の試験結果に同封されていた、京都新聞文化センター(京都商工会議所共催)の「京都検定講演会」の講座ラインナップを見ると、詳しい先生方が深堀りのできるテーマでお話しされるようですが、基本的には検定は「合格」という結果を目指して受けるものです。ひとつのテーマを深掘りする講座は、検定とは別の、もっともっと深い京都に興味を持っていただく、ブラッシュアップ講座という位置づけが適切ではないかと個人的には感じます。
まずは1級(ないし2級・3級)に「合格」という結果を出していただくための、「広く正確な知識=膨大な基礎学習+漢字力」を身に付けられるような、歴史・文化の網羅的な講座を継続して開くべきではないでしょうか。1級で問うている知識はさほど深くはないわけです。そのことは先生方もよくわかっているはずです。ならば、ひとつのテーマを深掘りする講座は、講座自体は面白くとも京都検定の「合格」に直結する講座だとは考えにくいと思われます。「合格」に向けた網羅的な解説講座の過程でも、京都の面白さを学んでいただくことは十分にできるはずで、1級合格の暁には、各々がさらに深掘りをして、興味ある分野を自由に学んでいっていただければよいでしょう。そして何度も受験したい方は、10回合格なりを目指して積み重ねていけばよいでしょう。まずは最初の1回「合格」をしていただくための後押しを、主催者にはぜひともお願いしたいと思います(もちろんできるのは勉強のコツをお伝えするなどの後押しであって合格保証ではなく、あくまで各自で地道に頑張っていただかないといけませんが)。
夏から秋には、都草さんが担当される短期集中の京都検定1級対策講座があることも知っています。いつも満員のようで、素晴らしい分析資料を作ってくださいます。内容には感服するばかりで、膨大な量ではあるものの、重要なワードがテキスト内外から整理されていて、あの資料を覚えておければ、1級合格はかなり近づくはずです(想定問題も都草さんに申し込むと受けることができます)。しかし後日、対策講座の資料だけを買うことはできませんでした(以前に京都検定側に問い合わせて確認)。受講料と同じ金額を出しますと言ってもダメでした。予定があって講座に参加できなかったり、満席で申し込めなかったりという方もおられるでしょう。対策講座の資料の購入だけでも可能になってほしいと思います。この都草さんの京都検定1級対策講座を、もっと長回数の講座としてみるのも一案です。人生の貴重な時間を費やして1級の難関に挑もうとしてくださる方々を、どうか後押ししてあげてほしいと思います。
問題については、現状でも出題者側が全75問、自信を持って「京都の魅力を発信でき、次世代に語り継ぐ」ために必要な知識を問うている!とおっしゃられるかもしれません。批判を書きましたが、近年は総じて良問も多いです。出題者側も悩みながら問題を作っておられると思います。されど、もしそういった信念をお持ちでしたら、問題を作った方々は堂々と出てきていただき、問題の解説をする講座を開催していただきたい。なぜこの問題を出したのか、どうしてこの文言を知っておくことが「京都の魅力を発信でき、次世代に語り継ぐ」ために必要なのか、後日出版される書籍で「問題と解説」を読んでも、その部分の思いがあまり伝わってきません。問題の出しっぱなしで終わるのではなく、その後のフォローアップで受験生のレベルを高める努力を、熱い思いとともに行って頂きたいと思っています。2級・3級も同様です。
今回の合格発表と同時に、テキストの増補が発表されました。今年12月の検定より、新テキストに準拠した出題になるとのことです。1級は「公式テキストに準拠」しての出題ですが、神社検定のようにもっと多くの参考書を指定して、そこから出題するというのも手としてはあると思います。例えば、時事問題は「京都ひろいよみ」だとか、丹波・丹後・南山城なら、山川出版社の「京都府の歴史散歩 下」だとかを指定して、”準拠”というあいまいな言葉ではなく、その中から”必ず出す”ということにすれば、受験生も的を絞りやすくなり、知識レベルも上がるはずです。受験を通じて新たな京都の魅力を知っていただき、京都をさらに好きになる方が増えるような検定であってほしいと強く願っています。
最後に
ここまで長々と書いてきました。読んできて下さった方は、私のブログの読者か京都検定に思いのある方でしょう。拙い文章で恐縮するばかりですが、お読みいただき本当にありがとうございました。私は次回の受験をするかをまだ決めておらず、今回が最後になるかもしれないこともあって、現状の思いをまとめておこうと思いました。
思えば、いちばん最初の1級(第2回)は合格者36名、合格率4.5%で、すごい人たちがいるものだと思いました。私が最初に1級を受けたときは115点で5点足りず(第3回、合格率13.6%)、次の年は103点(合格率8.1%)で今で言えば準1級の基準にも達していませんでした。3回目で124点で合格しましたが16.6%とかなり合格率の高い回でした。そこから観光ガイドとして起業をしましたが、最初の数年は売れず、日々の食事にも苦労をする中で、食事は抜いても拝観料だけは惜しまないように、自転車で京都中を駆け巡りました。交通費節約のため志明院へも常照皇寺へも自転車で行きました。そうした意地のような積み重ねをしているうちに、少しづつ確かな基礎となる知識が身についていきました。その後、まさか1級の最高得点を8年も続けて取れるようになるとは、まったく夢にも思いませんでした。いま観光ガイドを続けていられることもそうですが、本当に奇跡ともいえる出来事でした。
今回が最高点でなければ、すんなり京都検定は引退していたでしょう。しかし、連続記録が継続となっていますので来年も受けるかどうかを迷っています。全員正解の+2点で最高点が継続できたのは、まだ受験を辞めるなということかもしれません(天からの啓示のような意味で)。私を越したいと思う方もおられることでしょう。そして私が越されるならば、願わくば私より年下の「次世代」の方であってくれたらとも思っています。私のことはまた考えるとして、1級の受験を継続しよう、新たにチャレンジしてみようという勇者の皆様は、どうか楽しみながら京都を学んでいっていただけたらと願っています。そして京都のことを嫌いにならないでください。しんどくなったら勉強を休み、皆さんの好きな場所へと出かけて気分転換をしながら、純粋に京都の魅力を感じていただくのがよいかと思います。もし気が向きましたら、私の散策・講座にも参加をしてみていただけると幸いです。
京都検定は引退するかもしれませんが(しないかもしれませんが)、私は観光ガイドとして引き続き、日々「京都の魅力を発信」し、「次世代に語り継ぐ」べく、努力を重ねてまいります。毎回書くことですが、ガイドをするうえでの実践的な知識と、京都検定で問われている京都を知るための基礎的な知識は別物です。1級といえども問われている知識レベルは「2~3、たまに4」くらいで、各分野の中では実は基礎です(これは気象予報士試験でも同じ)。しかしながら、無限大の分野から出題されるのが難しいのですが…。私も人前で「浅く広い知識の人間です」というの謙遜ではなく事実で、まだまだ知らないことや理解をしていないことはたくさんあります。きっと一生かかっても学びきれる気はしませんが、より深い知識と分かりやすい伝え方を目指して、引き続き日々努力を積み重ね、無限の魅力がある京都の面白さを発信していければと思っています。私の散策・講座を通じて、京都ファンが増えてくれたならば大変嬉しく思います。
散策や講座にご参加いただく方には心から感謝をするばかりです。ブログもお読みいただき、本当にありがとうございます。京都が大好きな京都ガイドとして、私自身も楽しみながら、京都での日々を過ごしていきたいと思います。京都検定に関しての長らくのご声援、ありがとうございました。8年連続の最高得点は、そうした声援にこたえる結果にもなったと思います。本当に本当にありがとうございました。
最後に、京都検定の草創期に関わられ、2020年に鬼籍に入られた堤勇二先生が、京都検定は【京都を「知る」ための知識を習得する試験】であると書いておられる部分を引用し、このブログを終わります。尊敬するほどの超人だった堤先生をはじめ諸先生方のレベルに少しでも近づけるよう、日々積み重ねて行きたいと思います。
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『京都・観光文化への招待』 井口貢 池上惇 編著 ミネルヴァ書房 2011年 より堤勇二先生の記述を引用
京都を理解するには歴史や宗教の知識に加え、有職故実の来歴、歌道や茶道など諸道の習得、能、狂言などの諸芸の理解、衣食住を作る諸技術の目利き、花鳥風月など自然に対する深い愛着といった多くの見識が不可欠である。それらすべてを保持しなければ京都は理解できないとはいわないが、そういうことに意識をおき、習得しようとする努力が、知らなかった京都の魅力を再発見することにつながる。京都の文化はそれだけの厚みを持ち、京都の風物はそれだけの高みをもって幾多の観光客を迎え続けているのである。
一日に10ヶ所の社寺を回ったと自慢するよりも、一つの社寺を10通りの方向からみて理解することのほうが大切ではないだろうか。もう京都の観光は単に「みる」だけの観光から、理解し「知る」観光へシフトすべきである。「通り過ぎる」観光から、「立ち止まり」考える観光へと方向を転換すべきである。
京都はそれに十二分に応える無限の資源を有しているし、それらを守り伝える人々はどのような質問にも答えられるだけの十分な知識を有するためのスキルアップに余念がない。京都検定の目的もそこにある。京都検定は単なる日本史検定とは違う。いま生きて活動する京都という都市を「見る」ためのものではなく「知る」ための知識を習得する試験なのである。(引用終わり)
ガイドのご紹介 吉村 晋弥

京都検定1級に8年連続の最高得点で合格(第14回合格率2.2%)、「京都検定マイスター」。気象予報士として20年。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。BS朝日「あなたの知らない京都旅」、KBS京都(BS11)「京都浪漫」出演。特技はお箏の演奏。
散策・講座のお知らせ
※1月30日(木)19時~21時で、「京都館PLUS X内(メタバース)」にて、「冬の京都の楽しみ方教えます!」をテーマにお話しさせていただきます。参加無料。詳細は下記よりご覧ください。
https://www.city.kyoto.lg.jp/sankan/page/0000336084.html
【現地+配信の講座を受付中!】
奥深い京都へのいざない!マニアック京都講座
1月「因幡薬師堂と六角堂」、2月「詩仙堂・圓光寺・狸谷山不動院」、3月「大山崎 繫栄の歴史と現在の見どころ」
【散策を受付予定!】
1月29日(水)13時30分~16時頃
「京の冬の旅」特別公開の六角堂から三条通の近代建築を抜けて革堂・行願寺と周辺社寺へ
【「丹後七姫講座」を開催中!】 ※原則第2金曜日19時30分~
【丹後七姫講座】丹後の歴史を彩る女性たちの物語
「過去の講座動画」の販売を再開しました!
- 【まいまい京都で受付中!】
2月9日(日)14時~16時30分頃
【大原三千院】幸せを呼ぶ初午大根焚き!大原の里、初春の風物詩
【オンラインサロン】吉村晋弥のマニアック京都サロン を募集中!
「まいまい京都」さんで『【オンラインサロン】吉村晋弥のマニアック京都サロン』を募集中。毎月第2水曜日20:00~21:30頃の配信と吉村のコースの抽選が当たりやすくなります。詳細はリンク先をご覧下さいませ。