雲ヶ畑 惟喬神社と高雲寺

惟喬神社
京都の洛北、山あいには平安時代の惟喬親王の伝説を伝える場所があります。今回は、雲ヶ畑の惟喬神社高雲寺をご紹介します。

雲ヶ畑を走る「もくもく号」雲ヶ畑は賀茂川の源流域にある集落で、平安時代の文徳天皇の第一皇子・惟喬(これたか)親王が隠棲した地としても知られています。文徳天皇は、第一皇子である惟喬親王を皇太子としたかったのですが、藤原良房(よしふさ)はその絶大な権力で自らの孫・惟仁(これひと)親王をわずか8カ月で皇太子にするよう天皇に迫り、しぶしぶ了承させてしまいます。

高雲寺やがて惟仁親王は、わずか9歳にして清和天皇として即位しました。当然、天皇自ら政治を行うことはできず、祖父の良房が人臣初の摂政に任じられ、藤原氏の摂関政治が始まっていくのです。清和天皇については、以前、清和天皇陵の記事で詳しく書いていますので、よければご覧ください。

惟喬神社一方、皇位継承の道から外された惟喬親王は、病をきっかけとして隠棲したとされますが、時期については諸説あります。惟喬神社前の看板によると、親王は貞観9(867)年、現在の桟敷ヶ岳辺りに隠棲していましたが、翌年雲ヶ畑に迎えられ、現在の雲ヶ畑出張所付近に造営された高雲宮に移り住み、間もなくそこで出家したと伝わっています。

惟喬神社惟喬神社は、臣下や村人たちが親王の徳を永遠に祀るために創建されました。また、「拾遺都名所図絵」によると、親王が寵愛していた雌鳥がこの地で病死したため、ここに祠を建てたともいい、別名「雌社」とも呼ばれています。現在も神社には「雌宮」の額が掛けられていて、親王を偲ばせてくれます。

桟敷ヶ岳への入り口惟喬神社は、雲ヶ畑の最奥に近い、志明院へと続く分かれ道のたもとにあります。神社は綺麗で、現在も地元では大切にされている雰囲気があります。ちなみに、雲ヶ畑のコミュニティバス「もくもく号」は、惟喬神社のすぐそばまで来ています。また、志明院への道を上っていくと、鴨川の源流にそびえる桟敷ヶ岳への登山道入り口があります。桟敷ヶ岳の名も、惟喬親王が都を懐かしんで山頂に桟敷を設けたところから付けられたとされ、親王を偲べる場所があちらこちらに隠れています。

高雲寺高雲寺は惟喬神社よりは京都市街地側の、雲ヶ畑集落の中ほどにあります。この地は、惟喬親王が構えた高雲宮の跡とされ、寺伝によると貞観11(869)年に親王はこの地で落飾し、寺を開いたとされています。山あいのお寺らしく、境内へは厳しい階段を上っていく必要があるのでご注意を。寺宝には親王が書写したといわれる大般若経600巻が残され、近くの方が拝むとすぐに病が治ったという大般若経説相図もあるそう。

高雲寺 松上げの碑寺には惟喬親王と同時代の貞観時代の薬師如来像が伝わっていて、伝説の信ぴょう性を裏付けているかのようです。ただ、普段の境内は無住のようで、上記の寺宝を見ることはできません。また8月24日には、親王を慰めるために始まったとも伝わる松上げが行われています。以前にご紹介していますので、よければご覧ください。

惟喬神社 狛犬さて、今回は雲ヶ畑の惟喬神社と高雲寺をご紹介しました。雲ヶ畑には他にも興味深いものがありますので、どこかでご紹介できればと思います。また、惟喬親王ゆかりの場所は、大原や二ノ瀬、大森など、まだまだあります。シリーズ記事として、不定期にご紹介していければと思います。

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    吉村 晋弥気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。特技はお箏の演奏。

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