雲ヶ畑の松上げ 2011年


雲ヶ畑の松上げに行ってきました。二か所で字の形に炎が灯りますが、毎年点火されるまでどんな字かは秘密。さて、今年の字は??
雲ヶ畑は賀茂川の源流域にある集落で、平安時代の文徳天皇の子・惟喬(これたか)親王が隠棲した地としても知られています。親王は、臣下として初めて摂政となった藤原良房の圧力で皇太子から外されてしまったのです(なお、替わりに皇太子となり即位したのが清和天皇です)。松上げは火の神を祀る愛宕山への献灯行事として行われ、その始まりは惟喬親王を慰めるためとも言われています。
賀茂川の上流域は険しい山が広がっていますが、私は普通の自転車でやってきました。車やバイクがない代わりに、「根性」が京都旅屋の貴重な経営資源。学生時代にさらに先の岩屋山志明院まで自転車で行ったところ、お寺の方が普通のシティサイクルで登って来た私を見て入山料を無料にしてくれたこともありました。今日も例にもれず厳しい道のりでしたが、何とか到着。しかし雨に降られずに本当によかった。ありがたいことです。

さて、高雲寺は惟喬親王が構えた高雲宮の跡で、寺伝によると親王はこの地で落飾し寺を開いたとされています。寺宝には親王が書写したといわれる大般若経600巻が残されています。松上げはこの高雲寺のある中畑町と福蔵院がある出谷町で行われ、それぞれに灯される文字が異なっています。

福蔵院からの松上げは20時に点火。高雲寺はその少し後の20時15分以降に灯されますので、両方を見ることも可能です。ただし、停める場所がありませんので、車は厳禁。路線バスも帰りがありません。京都バスのツアーが僅かながら組まれているようで、約60名程が来られているとの地元の方のお話でした。ただ、来年は行われるかわからない、無くなるかもとの噂も耳にしました。駐車場がなく、来れてもバスが2台ほどまで。お寺の坂がきつかったり見られる場所も狭いので、何かと問題もあるのかもしれません。

中畑町の松上げでは、一旦点火元の山に登り、その後に合図役の人が下山して高雲寺にやってきて松明で合図を送ります。最初から高雲寺に合図役がいるのではなく、上で準備が整ってから下山するのというのはすごいシステムですね。無線が無かったころのやり方なのでしょう。そしてこの合図もまた面白い!みんなで火元の山に向けて声を合わせて「おーい!」と叫びます。動画をとってきましたのでご覧下さい。

そして火が灯っていきます。松上げは若中会(通称:若中)と呼ばれる青年組織で運営されており、毎年変わる字は点火まで秘密が固く守られ、家族にさえ伝えないそうです。左右対称の文字は作りやすいそうですが、複雑なものや非対称の文字は大変だと地元の方がおっしゃっていました。昔は長男だけが携わっていたそうですが、今は二男・三男も加わって維持をしているそうです。

先に灯った出谷町の今年の文字は「支」だったそうです。両町の字は特に打ち合わせることはなくそれぞれ独自に考えているとのこと。さて、火が灯ってきて立ち上がった今年の中畑町の文字は…「才」でした!五山の送り火のように大規模ではありませんが、なかなかはっきりと美しく見えます。松明は動かせるようになっていて、隣の中津川町の集落の方へも向きを変えます。素晴らしい心遣いですね。

炎がまだ燃え盛っている頃、火元では僅かな人数を残して若中たちが下山し、高雲寺に戻ってきます。やってきた若中たちは自分たちで灯した炎を眺め、皆で労をねぎらいます。ここはもう地元の皆さんの社交場。とても明るく楽しい雰囲気でした。

やがて地元の方たちも少しずつ帰っていった頃、無線の合図で松上げの炎が消されます。川からホースで水をくみ上げて消しているそうです。最後にお寺の松明を消して終了。短い時間でしたがとても面白く、わくわくさせてくれる行事でした。守り続けて行くのは大変だと思いますが、未来へとつなげて行ってほしいと思います。私もまた「根性」で見に来たいと思います。

なお、その他の写真もFacebookで公開しています。どうぞご覧ください

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として9年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。散策メニューはこちらから
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