上賀茂神社 烏相撲


9日は重陽の節句で、上賀茂神社では神事と、斎王代が見守る中で烏相撲が行われました。
烏相撲で知られるのが、宮司たちが奉納するカラスの物まねです。今回は、都合で残念ながら神事には間に合わず、その模様の写真や動画はありませんが、子どもたちが相撲で熱戦を繰り広げるようするや、斎王代を見ることができました。

烏相撲と賀茂建角身命

重陽の節句は、陰陽思想で「陽」の数とされる奇数のうち最も大きい「9」が重なる9月9日にその大きすぎる「気」を払うために行われる行事です。また、菊の花が咲く頃であることから菊の節句とも言われています。上賀茂神社では災厄を払い長寿を願う菊酒も振る舞われました。

さて、なぜその神事に「烏」が関わるのか。賀茂の神の祖であり下鴨神社に祀られている「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」は、神武天皇が東へと攻める際に、八咫烏(やたがらす)に姿を変えて先導をしたとされています。八咫烏はサッカー日本代表のエンブレムで知られていますね。
余談ですが、賀茂建角身命は天孫降臨にも参加する古い神で、上記の先導の後、奈良の葛城山に降り立ち、やがて山代国(あえて山代と書く)岡田の賀茂から山代川(木津川)沿いに下り、葛野川(桂川)と賀茂河(鴨川)の合流地にたどり着きます。そして「清川(すみかわ)」と賀茂河をたたえ、その名を「瀬見の小川(浅くて底が見える川)」と名付けて川をさかのぼり、久我国の北山の基(麓)にしずまったとされています。
上賀茂神社のご祭神である「賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)」は、賀茂建角身命の孫にあたります。長くなりましたが、烏相撲の由緒は上賀茂神社の神様のおじいさんにちなんでいるということのようです。

境内の様子

さて、境内では子どもたちによる相撲の熱戦が繰り広げられました。動画がありますので、ご覧ください。面白いのが、相撲を見届ける斎王代。葵祭だけではなく、ここでも登場します。細殿(ほそどの)の前には神の寄り代である三角形の立砂も並び、御簾(みす)から見える斎王代の姿はまさに平安の厳かな雰囲気すら感じさせられます。建物は式年遷宮によって古来からの建築様式が守られており、神社の方によると「平安時代から変わっていない」とされています。

http://www.youtube.com/watch?v=Z7LU8gP5O_Y

相撲の後には、子どもたちと斎王代が記念写真。なかなか見られない不思議な構図です。また、相撲が終わると菊酒が振る舞われます。十分に量があり、急いで並ばずとも頂くことができます。私も頂きました。菊の花びらが杯に入るように入れて頂け、神社の方によると菊の花弁はそのまま食べても問題ないそうです。

境内では、萩の花も次第に咲いてきていました。もうじき御手洗川沿いが美しく彩られることでしょう。楼門をバックに写真を撮るのが定番です。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として9年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。散策メニューはこちらから

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