京都の年越し 除夜の鐘


いよいよ明日31日は大晦日。様々な出来ごとがあった2011年も最後の日。大晦日から元日にかけて、寺社の多い京都は年越しや初詣の行事が日付をまたいで行われます。

京都の大晦日。昨日は「をけら詣り」を書きましたが、お寺の多い京都では除夜の鐘もあちこちで撞くことができます。最も有名なのは知恩院。先日、試し撞きの様子をアップしていますので、ご覧ください。知恩院の鐘は撞くことはできませんが、大晦日の夜は大変な混雑となりますので、行かれる方は気合十分で臨まれるとよいでしょう。

知恩院と同じく日本三大梵鐘の一つが方広寺の大鐘。知恩院は約70トンの重さがありますが、それをさらにしのぐ約83トンもの重い鐘です。方広寺の鐘は、先着順で撞くことができます。私の2011年はこの鐘の音とともに明けました。「国家安康 君臣豊楽」の銘文で豊臣家滅亡の発端ともなった鐘を、自分の手で撞くことができるのです。歴史好きにとっては非常に嬉しい機会に違いないことでしょう。ただ、3万人から5万人が訪れる知恩院の除夜の鐘とは対照的に人は少なく、主に地元の方々と外国人(留学生か)の方々が集まっていました。というわけで、順番を待ちながら「Happy new year!」の声を聞いて年越しを迎えることになりました。

方広寺へ行ってみようという方は、十分に場所を熟知してから向かうことをお勧めします。豊国神社に入っても、鐘のすぐ近くまで道は「真っ暗」。本当に鐘撞きがあるのかも不安になることでしょう。撞き始めは23時50分~、早く並ぶに越したことはありませんが、昨年は大晦日当日に大雪があったためか23時30分頃に行っても間に合いました。1人の場合は複数人で撞木の綱を握ることになります。京都市内では、各地で除夜の鐘を撞くこともできます。ただ、有名寺院では事前の整理券が必要となるなどそれなりの努力が必要ですので、他のサイトの情報をご参考下さい。

私の家の近くに高松神明社という小さなお社があります。ここは平安時代の貴族・源高明の邸宅「高松殿」に祀られていた神社です。高松殿は鳥羽上皇の院御所ともなり、後白河天皇はこの場所で即位して、内裏としても使用した場所。保元の乱の時には後白河方の本拠地とされ、来年の大河の主人公である平清盛や源義朝も集いました。高松殿はその後の平治の乱で焼失し、今は神社のみがひっそりと残っています。2011年の元日にお参りに行くと、人はほとんどいませんでしたが、帰り際に声をかけられ「神箸」を授与していただけました。なんとも親切でありがたいことだと思います。京都は歴史(とその記録)の宝庫で、歴史の無い土地はどこにも存在しないのですが、それに加えて人の温かさも隠れていますね。この記事を書きつつ思い出したので付け加えておきます。

錦市場や新京極などは、今日も多くの人で賑わっていました。残り少ない2011年。様々なことがあった年。最後の一日も大切に感じながら、京都で年を越したいと思います。大晦日の夜は今年も定番から新しい場所へと行くつもりですので、きっといつの間にやらの年越しになるのでしょう。元日は、まさに京都中の社寺をめぐる予定にもしています。皆様も健やかな年末年始をお迎え下さい。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

より大きな地図で 方広寺 除夜の鐘 を表示

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