夏も近づく八十八夜


5月1日は「夏も近づく八十八夜」。立春から数えて88日目で、365日を四季の数「4」で割ると、およそ91日程。88日経てばその季節はほぼ終わりです。夏はすぐそこ。晩春から立夏へ、「夏を感じられる頃」へと季節は進みます。

祇園の南にある建仁寺では、法堂の周りに牡丹の花が咲いています。牡丹は唐の時代には「花の王」とも称され、古くから人気を集めた花です。「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」でも知られるように、美人の代名詞、あるいは座って見るのが美しい花としても知られます。禅寺といえば、白黒のイメージが強い場所ですが、こうして華やかな花に包まれているのもよいものですね。

また、建仁寺の境内にはお茶の木がたくさん植えられています。建仁寺を開いた栄西は、日本に喫茶の風習を広めた人物。栂尾(とがのお)・高山寺にある日本最古の茶園も、元は栄西が明恵に茶の種を分けたところから始まりました。禅の修行は眠りでさえも制限するほど厳しいもの。茶はそんな修行中の眠気覚ましの特効薬として重宝されました。こうした由緒から、現在も建仁寺の境内には茶の木が植えられており、特に「平成の茶園」の周辺には、茶の招来800年を記念して、かつて栄西が修行した中国の寺より持ち帰った種から育てた茶の木が植えられています。茶園の葉は毎年5月10日頃に茶摘みが行われて、臼で挽いた抹茶を6月5日に行われる御開山毎歳忌にお供えしているそうです。その他の境内の茶葉は僧侶の手によって摘まれ、寺内の飲用として今も活用されているそう。栄西の教えは今も生きているようです。

八十八夜といえば「分かれ霜」。この日を過ぎれば霜の心配がなくなるということですが、南北に長くて地形も起伏に富んだ日本では一概にそうとはいえません。ただ、現在の京都の霜の終日の平年日は4月6日。都市化と乾燥化も進んだ現代では100年ほど前と比べても明らかに最低気温が下がらなくなっており、霜が降りにくくなっています。霜注意報の発表基準は京都では「最低気温が3℃以下」ですが、調べてみると、5月以降に気温が3℃以下にまで下がったことがあるのは1967年まで遡り、近年では皆無です。京都市街地では「分かれ霜」は八十八夜よりも前にありそうです。

茶畑へ行くと、高いところに扇風機がついているのを目にすることがあります。霜をもたらす冷たい空気は密度が高くなるため相対的に重くなり、地面付近やより低い場所に溜まる習性があります。時には水が集まって谷を流れるかのように、冷たい空気が流れやすい谷筋に沿って、霜を降ろす「霜道」を作ることさえあります。扇風機は、冷たい空気がたまるのを防ぐため、上の方の比較的暖かい空気をかき混ぜて、霜が降りるの防いでいるのです。正式名称は「防霜ファン」と呼ぶそうです。

京都府南部は宇治茶の産地として知られています。「夏も近づく八十八夜」の茶摘みの歌も、宇治田原の茶摘歌を元に作られたといわれています。宇治茶は高山寺の明恵が宇治に茶を広めたのが始まりとされ、茶の種の撒き方が分からない農民に教えるために馬を歩かせ、その足跡に沿って種を植えるように指示したといわれます。現在も万福寺の総門前には、当時の茶園の跡「駒蹄影園(こまのあしかげえん)」の碑が立っています。本格的な中国風の伽藍が並ぶ万福寺では、江戸時代に「山門を 出れば日本ぞ 茶摘歌」という句も詠まれました。宇治の茶は、今も昔も人気が高く、現在は「京都・奈良・滋賀・三重の四府県産茶で京都府内業者が府内で仕上げ加工したもの」と定義されており、厳密には京都産でなくても宇治茶を名乗ることができます。これは「歴史・文化・地理・気象等総合的な見地に鑑み」という理由から。一帯では茶摘歌の通りに、八十八夜のころから茶摘みが始まっています。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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