清凉寺の紅葉と夕霧祭


嵯峨野では清凉寺の拝観エリアの紅葉も見ごろを迎えています。11日には夕霧太夫を供養する夕霧祭も行われ、島原太夫による舞が奉納されました。

11日に行われた夕霧祭の夕霧とは、吉野太夫と並んで寛永三名妓の一人とされる夕霧太夫のことです。源氏物語では光源氏と葵の上との間に子どもの「夕霧」がいますが、こちらとは関係ありません。清凉寺のあった場所に別荘・栖霞観(せいかかん)を構えた源融(みなもとのとおる)は光源氏のモデルともいわれますので、混同しやすいかもしれません。

夕霧太夫は、江戸時代の初めにこの辺り(中院)に生まれ、島原の太夫となったと伝わります。やがて所属する店が大阪へと移転したのに伴って自身も移り、そこで若くして亡くなりました。享年は27歳といわれています。容姿が美しく、芸事にも秀でた名妓であったため、大阪中がその死を悼んだそう。やがて時代が下り、昭和の世になって初代中村鴈治郎の娘である中村芳子が二代目の夕霧太夫を襲名し、はじめたのが清凉寺での夕霧供養。彼女の死後も現役の太夫に引き継がれて供養祭が毎年取り行われています。境内には中村芳子の「あでやかに 太夫となりて我死なん 六十路過ぎにし 霧はかなくも」の歌碑も残されています。

例年は本堂前での太夫道中が行われますが、この日は雨ということで行われず、同日に行われる「嵐山もみじ祭」も中止となってしまいました。残念ですが、こんな年もあるでしょう。太夫道中は見られませんでしたが、太夫さんが拝観エリアの渡り廊下を通って本堂へと向かう場面は見ることが出来ます。その際に弁天堂に一礼をしている場面が冒頭の写真です。本堂内での舞も優雅で、雨ながらもたくさんの参拝者が訪れていました。

清凉寺の拝観エリアも紅葉が早い場所です。一方、多宝塔の周辺の紅葉はまだこれからです。同じお寺でも場所によって紅葉の進み具合が変わりますので、その分トータルでは長く楽しめますね。現在の清凉寺の紅葉はこの渡り廊下からの眺めが非常に美しくなっています。供養塔が立つ池の中島の紅葉が特に綺麗で、渡り廊下を額縁に見立てて写真を取ってみるのも絵になることでしょう。

小堀遠州作ともいわれる大方丈前の庭園も、楓が彩って美しくなっています。雨の日は、こうして雨に濡れない場所から雨音に耳を澄ましながら静かに時間をお庭を眺めて過ごすのが、お勧めな京都の楽しみ方。草木や苔は雨によって光沢を増して艶めき、晴れの日には絶対に味わえない秘めた美しさを見せてくれます。京都の統計では、年間に雨の日はたった100日ほどです。なんと貴重な機会でしょうか。雨の日だからこそ、私は「知られざる京都」を見つけに出かけたいとも思います。

さて、この日の清凉寺境内では、本来は「嵐山もみじ祭」で大堰川に浮かぶ船の上で上演予定だった嵯峨大念仏狂言の「舟弁慶」が、僅かな観客の前で淡々と上演されていました。席も設けられず、アナウンスも無く、ただ雨の中に鐘の音が響き、静かに静かに無言の念仏狂言が行われます。思いがけず見られたのは嬉しかったのですが、演者はきっと残念だったことでしょう。少しかわいそうでした。来年は晴れてくれて「嵐山もみじ祭」を見に来られたらと思います。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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