藤森神社 駈馬神事

藤森神社 駆馬神事
5月5日に、藤森神社駈馬神事が行われ、見事な曲乗りが披露されました。

藤森神社 馬場藤森神社は京都有数の古社で、かつては藤森地域一帯に3つの社が点在していたといわれます。藤森神社がある深草の地は、弥生時代の遺跡も見つかるほど早くから人が住んだ場所でした。その理由は交通の要衝にあるということ。深草少将が百夜通(ももよがよい)で山科の小野へと通った話は有名ですが、実は京都で最も楽に山科へ抜けられる道は深草からの山越えである「大岩街道」です。私も自転車で京都中を走り回っていますので体で実感しますが、三条よりも五条よりも滑石越よりも、楽なのは大岩街道です。現在の大岩街道には名神高速道路が通り、さらに当初は国鉄も走っていました。近現代も京都から山科への山越えとしては最も負担の少ない場所です。飛鳥や奈良に都があった時代、あるいはそれ以降も、奈良や大阪から東国へと向かう人々は、この深草を越えるルートを選択することも多かったようです。

藤森神社 駆馬神事 馬場を清めるそのため深草の地は東国へ向かう要所として古くから重視され、飛鳥時代には、聖徳太子の一族によって屯倉(みやけ)と呼ばれる直轄地がおかれていたと考えられています。聖徳太子は京都でも六角堂や八坂の塔(法観寺)の創建に関わったとされますが、実際に古代京都の山背(やましろ)とはつながりが深く、太子の子どもは山背大兄王(やましろのおおえのおう)という名であることからも、山背国(山城国)との繋がりを推察することができます(確実に解明されているわけではありませんが)。

藤森神社 駆馬神事 子どもそんな藤森の地にある藤森神社は、西暦でいえば203年に、神功皇后が新羅からの凱旋に際し、この地に郡中の大旗を立て、兵具を収めた塚を作ったのが始まりとされています。ご祭神はかなり多く、神功皇后や応神天皇といった「八幡神」もいれば、別雷命という(恐らく)賀茂の神と同一神もいたり、八坂神社と同じ素盞鳴(スサノオ)命も祀られています。加えて、怨霊系の人々が祀られている点は見過ごせません。早良親王や伊予親王、井上内親王、そして舎人(とねり)親王です。

藤森神社 駆馬神事 時代行列舎人親王は、日本書紀の編纂でも知られるように博学で、終生特別な不幸はなく、もちろん怨霊ではありません。しかし、実は舎人親王の子どもが淳仁天皇です。淳仁天皇は淡路廃帝とも呼ばれ、藤原仲麻呂の乱によって淡路に流され廃位された天皇。恨みを持って亡くなった天皇として、京都では白峯神宮に崇徳天皇と並んで祀られています。そのため淳仁天皇の父である舎人親王にも怨霊のレッテルが貼られて、ついには「崇道尽敬皇帝(すどうじんきょうこうてい)」の名をおくられることとなります。この場合の皇帝とは天皇と同じという意味です。・・・以上、今回の本筋と外れた話を書きましたが、藤森神社は京都屈指の古社であり、御霊信仰とも結びついた興味深い神社であることはお分かりいただけたと思います。現在も深草の人々からの信仰は厚く、祭りや行事には多くの人が訪れます。

藤森神社 駆馬神事さて、毎年5月初めには藤森祭が行われます。菖蒲の節句発祥の祭とされ、氏子の各家々に飾られる武者人形には藤森の神が宿るとされます。菖蒲は尚武(しょうぶ:武道を重んじること)に通じ、尚武は勝負に通じるので、勝運を呼ぶとして信仰を集めています。昨年の藤森祭では、伏見稲荷大社に藤森神社の神輿が入っていく様子を書きました。伏見稲荷大社の境内地はもともと藤森神社の境内地でしたが、稲荷側が土地を借りる際に、稲藁の束を置く場所を借りたいといい、藤森社がそれならばたいした広さの土地はいらないだろうと思って了承したところ、なんと稲荷側は藁を1本づつ並べて大変広く土地を囲って、その中に社を建てたといわれます。こうした由緒もあって、稲荷の境内には藤森の神(藤尾社)が祀られていて、藤森祭では神輿が入っていきます。詳しくは昨年のブログをご覧ください

藤森神社 駆馬神事5月5日の午後には駈馬神事が行われます。藤森神社の社伝によると、「駈馬神事は、早良親王が、天応元年(781年)に陸奥の反乱に対し、征討将軍(原文ママ)の勅を受けて、藤森神社に祈願をして出陣された様子を象ったもの」とされます。早良親王は桓武天皇の弟で皇太子でしたが、藤原種継暗殺事件に絡んで廃されて、断食死した人物。史実では将軍になったことはないようです。いずれにせよ、駈馬神事は江戸時代には、馬の上で曲芸的な乗り方をする曲乗りを披露する場ともなり、現在に繋がっています。昭和初期までは伏見街道で行われていましたが、現在は200mほどある境内の馬場で行われています。

藤森神社 駆馬神事駈馬神事は13時と15時と2回ありますが、どちらかというと15時からのほうが成功率が高いと思われます。というのは、13時は乗り手も馬に慣れていなかったり、馬自体もまだ元気がよく暴れやすかったりして、曲乗りを披露できずに素駈(すがけ)で終わってしまうことがあるためです。また、曲乗りを行う場所は、来賓席のある辺りがメインですので、なるべくそこに近づいておかないと遠巻きでしか見えません。また、席のある方(馬の進行方向の右側)で曲乗りを行うため、左側で場所取りをしていると、見にくい曲乗りもあります。

藤森神社 駆馬神事というわけで、人も多く、なかなかよい場所で見るのは難しいのが駈馬神事。私も過去には後ろの方で垣間見たことしかなかったため、今回は1時間半前には行きましたが、それでも最後の方の場所でしか最前列は取ることができませんでした。少なくとも2時間以上前に行かないと、よい場所で見るのは難しいでしょう。曲乗り自体は見事ですが、やはりなかなか難しく、成功率は50%程だったと思います。技の中では、敵の矢に当たったふりをする藤下がりが印象的でした。また、馬が驚かないようにカメラのフラッシュは厳禁。ヒラヒラした服装などもよくないそうで、前に乗りだすのも危険です。安全に注意しながら、妙技をご覧いただければと思います。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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