京都に眠る氷室の痕跡

手水に張った氷
夏至も過ぎ、真夏も近づいてきました。かつての宮中では真夏に氷を楽しむ風習があり、京都の山沿いにも氷室の痕跡が残されています。

勧修寺 氷室池氷室とは冬にできた氷を保存しておく穴のことです。冬の間に氷を蓄え、夏に取りだして宮中へと運び、高貴な人々は甘い蜜をかけて食べていました。当時は他にも「水飯」といって、氷を冷たい水に浸して氷を入れて食べていたそうです。1000年前の真夏に氷を得られたというのは驚きですね。

ゆずのシャーベット 水尾にて平安時代に書かれた清少納言の枕草子の42段にも、「あてなるもの」として「削り氷にあまづら(甘葛)入れて新しき金碗(かなまり)に入れたる」が登場します。「あてなるもの」とは上品なものという意味で、清少納言が見ていた涼しげな光景が目に浮かぶようです。単に氷を頂くだけではなく、様々に趣向を凝らして夏の暑さを和らようとしていたのですね。また、源氏物語の「蜻蛉」にも、炎暑の盛りに宮中の女房たちが氷室から取り出した氷を割って戯れている様子が描かれています。

主水司跡実は氷室の歴史そのものは古く、古事記では仁徳天皇に献上されたとの記述があるほど。古代にはその数は全国で500以上、山城国には約300あったともされます。平安京に都が移った後は、主水司(しゅすいし、もんどのつかさ)という役所が氷室の管理を行っていました。主水司跡の石碑は、丸太町智恵光院付近に立っています。

勧修寺 氷室池京都には現在もいくつか「氷室」と名がつく場所が残っています。最も知られているのは、勧修寺の氷室の池。この池は「氷室」の名は冠していますが、実際に氷室があったわけではないよう。気候的にも、もし勧修寺の場所で氷室ができるならば、気候からして京都のどこでも氷室が出来てしまいそうです。実際には、平安時代の1月2日にここに張った氷を宮中に献上し、その厚さによって五穀豊穣を占ったといわれています。

氷室通金閣寺の近くにも「氷室」の名があります。金閣寺道から西大路通を南へ下がると衣笠北天神森町の交差点がありますが、ここで西大路通と交差しているのが「氷室通」。この道は金閣寺の裏を抜けて原谷へと通じる道で、紅枝垂れ桜の名所、原谷苑へと行く際にはここを通ります。実は金閣寺の裏に「衣笠氷室町」という地名があり、この場所に氷室(石前氷室:いわさきひむろ)があったと伝わっています。

氷室の集落京都では他にも、赤山禅院の西にそびえる高野の氷室山(小野氷室)、京見峠の北にある西賀茂の氷室(土坂(長坂)氷室または栗栖野氷室)にも地名が残り、仁和寺の北にある御室住吉山にも氷室(徳岡氷室)があったという記録が残されています。下鴨神社にも氷室があったそう。現在、それらの遺構はほとんど残っていませんが、京都では西賀茂の氷室に跡が残されています。以前に訪れてきましたので、次回詳細に書いていきます。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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